この頃読んだ本 1999

 
1999・12 1999年に読んだ本
1999・11 今月は紹介できる本を・・・
1999・10 相変わらずの寝不足状況・・・
1999・9 毎年恒例になってきたカレンダー
1999・8 やはりなんといっても・・・

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 このごろ読んだ本 1999・12

 一九九九年に読んだ本

 恒例の一年問の読書の総ざらい。やはり今年もカレンダー&クリスマス商戦が始まると本を読む
時間が激減。ホームページも始めたので、メールチェックは以前より頻繁に(といっても結局毎日
はできなかったけど)、掲示板もチェックして、となると結構時間がかかる。もっと時間がほしい
といつもの繰り事。なんだか悔しい。
 ともかくこの一年で読んだ本の総数は一七九冊。去年とほば同じ。今年は古典や少し前の評判の
作品のシリーズを再読したのが多かった。「アーサー・ランサム全集」(アーサー・ランサム 岩
波書店)、「コロボックル物語」(さとうさとる講談社)、「プリデイン物語」(ロイド・アリグ
ザンダー 評論社)、「闇の戦い」(スーザン・クーパー 評論社)、「メニム一家の物語」(シ
ルビア・ウォー 講談社)、「シーラス」(セシル・ボドガー 評論社)、「黒ねこサンゴロウ」
(竹下文子 偕成社)などなど。シリーズ全部を読みきったのは半分くらいだが、まとめて読むと
その世界が改めて見えてくる。どっぷりつかるという楽しみも味わえる。他にも読み返したかった
シリーズがあったが、できなかった。残念。
 これらも交えて、読んだ冊数が多いのがやっぱりファンタジーで六六冊。うち児童文学系が四八
冊。読み応えがあったのは「闇の守り人」(上橋菜穂子 偕成社)。剣士バルサが披女の故郷を訪
れ、そこで生じた波紋をどう引き受けていくか、その地の少年と絡めての物語。ちょつとご都合主
義的なところもあるけれど、ぐいぐい物語に引さ込まれるのは、さすが。これが二冊目、シリーズ
化してくると、次作が待ち遠しい。
 そして、印象に残っているのは「ナシスの塔の物語」(みおちづる ポプラ社)。砂漠のへりの
町を舞台にした少年の物語。舞台が架空の場所なのでファンタジーに分類してあるが、魔法とか竜
とかが出てくるわけではない。むしろ歯車の活用など、話は非常に現実的。しかし、物常に漂う空
気はたしかにファンタジー。トンビと呼ばれる青年の扱いなどもうまく、これからが楽しみな新人
といえよう。
 「黒ねこサンゴロウ」シリーズ全十巻は、前半はほぼ一気読み状態。残り三巻を半月後に読んだ。
この後の巻には物哀しいトーンが流れていてせつない。「一年後の手紙」はちょっと納得できない。
あれで終わっていいの?という気分。しかし、作者が次々と書いていたのに出版社からストップが
かかった、と何かで読んだ。終わらせざるをえなかった気持ちがああいう結末を招いたのか。もっ
ともっとこの世界に浸りたかった読者はいっぱい
いるだろうと思うと残念。
 ハヤカワFT文庫やティーンズ・ノベルス系のファンタジーは一八冊。「青い剣」ダマール王国
@
「英雄と王冠」ダマール王国A(ロビン・マッキンリィ ハヤカワ文庫)が、読みやすく面白
かった。どちらも自分の所属や位置を確認しきれない少女が、自分の内なる力に目覚め、戦に打ち
勝っていく話。恋人と力の導き手とをうまく絡み合わせて、国の盛衰をもかけた戦と重ねあわせて
いく。軽いタッチだし、よくあるパターンやイメージを使ってもいるので、ちょっとお手軽だけど、
この物語の雰囲気が私は好き。
 さて、一八巻まで追い続けた「デルフィニア戦記」「遥かな星の流れに」上下(茅田砂胡 中央
公論社)、そうかこう終わるか、とうなってしまった。確かにバタバタと終局に向かい、ご都合主
義もいいとこ。そんなのありかぁ?叫びつつ妙に納得させてしまうところが、この作者のすごいと
ころ。ファンがつくわけだ。その世界で思いっきり遊ばせてくれるんだもの。次は宇宙を舞台に新
シリーズがスタート。やっぱり気になってしっかりチェックしている私。早く読みたいよう。
 「ベルガリアード」A「蛇神の女王」からD「勝負の終り」(デイヴィッド・エディングス
ハヤカワ文庫)までしっかり読んだ。エピック・ファンタジーというかヒロイック・ファンタジー
の王道をいく物語。堪能させてもらったけど、ある種、先が見えてしまう。それが安心して物語を
楽しめる要素にもなっているから、一概に悪いとは言えない。実は女性の扱いに不満が残るので、
好きになりきれない、というところかな。後編の「マロリオン」シリーズには手がでなかった。
 児童文学は四二冊、うち翻訳物が三四冊。印象的なのは「レモネードをつくろう」(ヴァージニ
ア・ユウラー・ウルフ 徳間書店)。主人公は中学生。貧しい環境から抜け出すために大学進学を
希望。学資を貯めるためにベビーシッターをする。ところが行った先は二人の子持ちの一七才。主人
公の語りだけなので、読み手はいっそういろいろ考えさせられるし、想像をかきたてられる。
 「もちろん返事をまっています」(ガリラ・ロレフェデル・アミット 岩崎書店)は、普通の学
校に通う少女と身体障害のある少年の文通を通して、相手を知る、ということを考えさせる。互い
の精神を触れ合わせ、心を通わせる誠実さが、どのような状態であろうと、人と人のつながりを生
むのだという、単純だけど大切なことを伝える。
 「ヒーローなんてぶっとばせ」(ジュリー・スピネッリ 偕成社)は、今だから書かれた作品。
典型的なアメリカをパロッている。マッチョでならす少年の町に引っ越してきたのは、からかって
もマイペースでニコニコしてるやつ。そいつの家はベジタリアンで肉を食べない。中学に入れば男
のくせにチアボーイになる。もちろんオレはアメフトのヒーロー。でも試合を見にきたのはそいつ
の親、パパは仕事で忙しい。という具合。笑いながら強がってる主人公にほろりとしたりして。
 あと「北極星をめざして」(キャサリン・パターソン 偕成社)も骨太の作品で良かった。
 児童文学の国内作品は八冊、ちょっと少ない。
読みたいとチェックしたのは沢山あったのに。中で楽しめたのが「ビート・キッズ」(風野潮 講
談社)。続編も出たけど、作者は人間じゃなくて音楽を、ビートを描きたかったとか、妙に納得。
 ところで今の風俗や社会を一番写しているのはミステリーだと思う。読んだ四四冊の大半がアメ
リカ製。今こんな風な雰囲気なんだと、最新ミステリーを通して知ることが多い。ここ数年の特徴
はパートナーとの関係。出会って恋愛、というパターンじやなくて、年単位で関係が続いてきた今
どうするか、というところ。変質してきた関係を維持するのか否か。団塊の世代に焦点があたって
いるからかもしれない。すっきりした良い関係というのを思い描けなくなっている感じ。
 そんな中で異色なのは「わたしにもできる探偵稼業」「わたしにもできる銀行強盗」(ジーン・
リューリック ハヤカワ文庫)。六〇才になる女性が主人公。波瀾万丈の人生、紆余曲折を経て今
ここにいる。そこに降って湧いた災難(?)にどう対処するか。で、彼女のパートナーと言える男
友達とは、もちろん互いを分かり合う親密な関係だかセックスはパス。六○才で枯れちゃうの?と
いう疑問はあれど、そちらに気を使わないで尚かつ親密さを維持できるのはいいなぁ、とも思う。
 「告解」(ディック・フランシス ハヤカワ文庫)は、単行本で一度読んでいるので再読になる。
この映画監督の話は好きだったので、文庫になるのを心待ちにしていた。もともとフランシスは恋
愛よりも、家族関係と異常心理がメインになる。これはさらに監督という仕事柄、人をその気にさ
せて動かす、という部分が鮮明に出ていて面白い。
 「ピアノソナタ」(S・J・ローザン 創元推理文庫)は、シリーズ第二巻。一作目が中国系の
女性探偵から語られ、これはパートナー(一応仕事上)のアイルランド系の男性探偵の話。生い立
ちと現在の暮らしを絡め、事件を解決していく。さて、この二人の関係やいかに…。というのが一
つのポイントなのだが、あんまり早く一緒にしないではしいな。だって今までの例からいくと女性
の生彩が薄れることの方が多いんだもの。
 さてSFは一六冊。いろいろと考える素材を投げかけてきたのは「クローリー・シーズン」上下
(デイヴィツト・ブリン ハヤカワ文庫)。家母長制社会の惑星が舞台。生殖は異性性交と単体生
殖(クローン)とで、クローンが主流。そこで育つ変異子の少女の主人公。この特珠な社会、家族、
性のあり方などの構築がすごい。次第に明らかにされていくそのことが、本筋のストーリーと相ま
って一層の興味をかきたてていく。
 多くの異星人との共存を描きながら、旧来の地球的価値観の普遍化が随所にみられるのが、「フ
リーダム・ランディング」「フリーダム・チョイス」
(アン・マキャフリー ハヤカワ文庫)。
御大だから、と許しちゃう。私にとっての“ハーレクイン”だからね。第三巻はどうしたろう?歴史
改変物の「精霊がいっぱい」(ハリイ・タートルダブ ハヤカワ文庫)はパロディを楽しむ作品。
 その他エッセイやら何やらはまとめて三〇冊。「人生は過る輪のように」(エリザベス・キュー
ブラ・ロス 角川書店)、ホスピスを提唱した彼女の自伝。より良く死ぬことはより良く生きるこ
と、というのは、丁寧に人の死に向き合おうとする人の実感なんだろうと思う。常に前向きロスに
敬服。自伝的作品では「おばあさんになるなんて」(神沢利子 晶文社)も良かった。本人にイン
タビューしてその語りをまとめたものだけど、その人の雰囲気を彷佛とさせる。いろいろあったけ
ど今ここにいてそれでいい、というのがうれしい。
 「車イスからの宣戦布告」(安積遊歩 太郎次郎社)は私の今を語る。私が私でいるために娘が
ありのままであるために、戦い続ける。そう宣言する彼女の姿に感動する。しかし、車イスの人に
戦いを余儀なくさせるこの社会ってなんだろうね。「解き放たれる魂」(穂稚純 高文研)も虐待を
生き抜いた人の今の戦いを語る。最後に少し光が見えてきてようやくほっとする。よかった。



1999・11 このごろ読んだ本

 今月は紹介できる本をほとんど読んでいない。そこで、クリスマスにちなんだ物語を紹介したい。
まずは「ぴちぴちカイサとクリスマスのひみつ」(リンドグレーン作/ヴィータランド絵/山内清
子訳 偕成社)。カイサはもうじき7才の女の子。クリスマスの一週間前、おばあちゃんが足を痛め
てしまい、さあ大変。低学年向けだからある意味、予定調和のお話だけど、元気な女の子と、クリス
マスらしさを味わえる小品。

 同じリンドグレーンの「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・工・秋・冬」(大塚勇三
訳 岩波書店)のクリスマスのエピソードは楽しい・スウェーデンの昔ながらの風習をあれこれ体
験できる。しようがクッキーを焼く場面や、クリスマスの小人に子どもたち自身がなってプレゼン
トを互いに配って歩く場面は羨ましかった。子どもの頃くりかえし読んだものの一つといえる。
 ちょっとこわくて不思議な話なのが「星のひとみ」(Z・トベリウス/おのちよ絵/万沢まき訳
 アリス館)。フィンランドのサミの人の話。クリスマスイブに赤ん坊がそりから振り落とされ、
その子の瞳に星の光りが宿った。昔話の定石を踏んで話は進む。フィンランドに取材し、サミ人の
紋様などを使った絵が美しい。絵本タイプだが、文章もしっかりあるので、じっくり読んでほしい。

同様にしみじみ味わえるのが「しあわせなモミの木」(シヤーロット・ゾロトウ文/ルース・ロビ
ンソン絵/みらいなな訳 童話屋)。お金持ちの住む美しい通りに引っ越してきたのは粗末な身な
りのおじいさん。このクロケットさんがクリスマスの買ったのは枯れかかったモミの木。丁寧に手
をかけられたモミの木はその翌年には緑の葉を茂らせたけれど、通りの人は気がつかなかった。静
か淡々と語っていく中にしみじみとした情感が伝わってくる。ゾロトウはそういうことを意識して
書いたわけではないと思うが、こういう大人のための童話、みたいなものが流行っている。結構直
載で深みにかける、と感じるものも多い。その中でぎりぎりの線でOKと思ったのが「思いがけな
い贈物」
(エヴァ・ヘラー作/ミヒャエル・ゾーヴァ絵/平野卿子訳 講談社)。サンタクロース
の手元に残ったひとつの人形。誰にあげるものなのかを探しに出かけたが…。
お決まりの文明批判めいたものではあるのだが、皮肉のきいた展開でそれなりに読ませる。

 さて、いわゆる児童文学の中でのクリスマスものといったら、まずは「グリーン・ノウの子ども
たち」グリーン・ノウ物語
・(L・M・ボストン/亀井俊介訳 評論杜)だろうか。トーズランド
はクリスマス休暇を過ごしに大おばあさんのいるグリーン・ノウにやってきた。そこでの物語なの
だが、私は子どもの頃「まぼろしの子どもたち」というタイトルで読んでいた。大人になって読ん
だ時、初めてと思って読んだのに、子どもの頃感じた何ともいえない不思議さを味わいつつ、同時
に大人の自分もまた感動しているという奇妙な感覚をもった。その後出版社とタイトルが変わった
ことを知った。きっかけがあれば思い出す感覚、人は一体どけだけためこんでいるのだろう。

 で、次も子どもの頃からの愛読書「ライオンと魔女」ナルニア国物語・(C・S・ルイス/瀬田
貞二訳 岩波書店)。冬の女王が君臨してクリスマスがこない国だったのだ、ナルニアは。クリス
マスは冬至の後の行事だから。アスランが復活した後にサンタクロースが来るというのは、今にし
て思えばなんとも象徴的だけど、子どもの頃はわくわくして読んだだけ。プディングとかに憧れた。
考えてみれば未だに正式な(?)クリスマス・プディングは食べたことがない。

 ファンタジーでは「光の六つのしるし」闇の戦い・(スーザン・クーパー/浅羽莢子訳 評論社)
を忘れちゃいけない。クリスマス直前のピーンと張った冬の朝の緊張感。そこから物語は始まり、
その緊張感が物語を覆う。イギリスの歴史や伝承を巧みに使った設定など、ファンタジーの真髄を
感じさせてくれる物語の一つといえる。
 さて、ファンタジーはだめ、という人にお勧めなのは「ぶきっちょアンナのおくりもの」(ジー
ン・リトル/田崎眞喜子訳 ベネッセ)。戦争が始まってドイツからカナダに移住した家族の末っ
子アンナ。ところが彼女は弱視だった.黒板の文字が読めない、針に糸を通せないぶきっちょだっ
たのはそのせい。初めて眼鏡をかけて世界が明るく見える、とびっくりするのはよくわかる。弱視
学級に通い、自信を持つアンナと、変わらない家族との関係。異国での初めてのクリスマスが圧巻。
 ちょつと異質なのが「クリスマスの魔術師」(M・マーヒー 岩波書店)。真夏のクリスマス
の幽霊絡みの話。まだまだあるけどこの辺で。


1999・10 このごろ読んだ本

 相変わらずの寝不足状況。決してさぼっているわけではないのに、
どうしてこんなに仕事が終わらないの?という心境。
ま、送られてきたニュースレターを続んだり、新聞を眺めたりもしている。
おまけに締切りにならないと取り組めない性格だから、残業するはめになるのは宿命かも・・・。
 なんて言って、ちゃんと読んではいない本を紹介する言い訳にはならない?
いえ、いえ、拾い読みだけど良かったので是非紹介したいのが
「車イスからの宣戦布告−私がしあわせであるために私は政治的になる」
(安積遊歩 太郎次郎社)。
骨形成不全症で車イスの著者の妊娠・出産・子育てを巡る話、
といっても普通の子育て記とは違う。
障害者として生きることを余儀無くさせられてきた彼女の生き様からくる思い、
パートナーやサポーターとの関係、そして子どもへのまなざし、係わり合い。
啓発され、考えさせられることで一杯。
時間ができ次第じっくり読みたい、と半ばいらいらする思いで置いてある。
 子どもが生まれたら、女性は母性あふれる母という、
あるべき姿を押しつけられる所があるけれど、実際は数十年生きてきた歴史を持っている。
 一つの鋳型にはまるような存在じゃないはず。そんなことも安積さんの本は、考えさせてくれた。

そう、そんなことわかっているけど、「じゃあ、どうしたらいいの?」という方にはこれをお勧め。
「親が自分を大切にするヒントー子どもの自尊感情は、親が自分を大切にすることから始まる」
(B・カールソン+M・ヒーリー+G・ウィルソン 田上時子駅 築地書館)。
タイトル通りの中身で、類書も色々出ているけど、これはワークブック形式になっていて手軽に読める。
 ということで、これも読みかけなんだけど紹介したい。生殖についてのアイデアがベースになっ
ているSF「グローリー・シーズン」上・下(デイビット・ブリン 友枝康子訳 ハヤカワSF文庫)。
単為生殖によるクローンで構成される社会。といってもクローンを生む家系(家母長制)はい
くつもあるから、社会全体が全く同じというわけではない。そこでは母という概念が当然違ってく
る。主人公はその社会で生まれた夏の子変異子。その少女の成長に絡めてその世界が紹介されてい
くので、上巻だけしか読んでいない私には全貌を語ることができない。読み終わったらもう一言
言えるかも。
これで、思い浮かべたのは「所有せざる人々」(アーシユラ・K・ルグウィン ハヤカワSF文庫)。
その世界の成立が一人の革命家から始まるという辺りと、物語の質感が似ている。
有名な「闇の左手」(アーシユラ・K・ルグウィン ハヤカワSF文庫)よりも読みやすいので、
まだの方にはこれもお勧め。

 「捜査官ケイト 消えた子」(ローリー・キング 集英社)は、シリーズ第3巻だったと思う。
恋人は遠くに行ってしまうし、その間仲良くなった少女は失踪してしまうし。全体として重いけど、
捜査やミステリーの部分をきちんと読ませるのがうれしい。最近のアメリカのミステリー、特にシ
リーズ物は人間関係のぐちゃぐちゃを描くのに比重がかかり過ぎていると思う。気持ちや関連性は
きちっと書いてほしいけど、重たすぎるのは困る。スキッとしたくて読んでいるのだから。

 児童文学では「ナシスの塔の物語」(みおちづる ポプラ杜)が良かった。砂漠のへりにある町
ナシスとそこに暮らす少年の物語。架空の舞台という点でファンタジーだが、魔法が出てくるわけ
ではなく、むしろまっとうな少年の成長物語と言える。さまざまな連想をよぶところは、この世界
の広がりを感じさせる。続編、あるいはこの世界の別な地点の別な人物の物語が生じてきても不思
議はない。

 前回少し触れた「シーラス」シリーズ(セシル・ボトカー 橘要一郎訳 評論社)は、現在10巻
位が翻訳され、原作はまだまだ終りにならないらしい。私は現在3巻日の「シーラスと4頭立ての
馬車」を読み終わったところ。この巻で明確になったのは、自由と責任、ということ。一人で生き
るシーラスは何事にも囚われないし、自分の思い通りに動くこともできる。しかし、その結果生ず
る危険(空腹や怪我)などは引き受ける覚悟がある。だからこそ、自分の馬が盗まれたら、自分で
取り返しにいくことを考えるのだ。自分のことは自分で面倒をみるしかないのだから。時代設定は
少し前だが、中身は決して古くはない。

 今時の環境間題を分かりやすく描いているのが「みみずのカーロ シェーファー先生の自然の学
枚」
(今泉みね子 合同出席)。ドイツ南西部にある小学校での環境教育実戦の記録を物語風に語
る。子どもにもわかりやすい文体で、具体的に何をどうやってきたのかを丁寧に伝えている。ゴミ
の問題を理解するためのミミズの授業、植物を育てるなどの実演の中で学び考えることなどなど。
柔軟で深い知織に基づくことが重要なんだね。


1999・9 この頃読んだ本

 毎年恒例になってきたカレンダー輸入の準備で夜遅くまで仕事をするが続き、
あまり本は読んでいない。
数少ない中で友人が貸してくれたのが「おばあさんになるなんて」(神沢利子 晶文杜)。
読みたいなぁと思っていたから嬉しかった。
神沢利子著となっているけど、本当は聞き書き。
翻訳家の小島希里さんと団体職員の志澤小夜子さんがインタビューして書いたもの。
神沢さんの肉声が聞こえてくるようでとても読みやすいし、親しみのある文章。
最後にある神沢さんのいくつかの短編とも違和感がない。
私は神沢さんに初めてお会いした時、なんて素敵に年を重ねている方だろうと憧れてしまった。
この本を読んで分かったけれど、それはいろいろ果たしたあげく、
一人で生きる自由さを手にいれた人のすがすがしさと、
その責任をきっぱり引き受けようとする潔さなのだろうと思う。
ご本人は拒否されるだろうけれど、やっぱり私はあんな風に素敵なおばあさんになりたいな。

 「自分でできるカウンセリング」(川喜多好恵 創元社)は、女性として自分を振り返り、
どう自己表現していったらよいかということを、具体的に書いてある。
数年前に出たのは知っていたけれど、実はご本人の講演を聞いてきちんと読む気になった。
この方もきっぱり潔い方で、著書も彼女のポリシーが明確でわかりやすかった。

 「レモネードを作ろう」(ヴァージニア・ユウラー・ウルフ 徳間書店)はちょっと話題になった本。
十四オの少女がベビーシッターに行った先は、二才の幼児と○オの赤ちゃんがいて
お母さんは一七オだった。
大学に行くための学費を稼ごうとベビーシッターをする少女と元ストリートキッズの少女、
二人を対比させながら生きていくことを考えさせてくれる、というと大袈裟か。
少なめの文章量できっちり読ませてくれる。

 今、「シーラス」シリーズ(セリナ・ポーン 評論社)を読み始めている。
随分前から出始めていまだに続巻が出続けているシリーズ。
ぼちぼちと読み進めているので、感想はまた今度。

 「エイジ」(重松清 朝日新聞社)はラストでほっとした。
読ませる力のある作家だと思う。人間が好きなんだとも思う。
     ひつじ


1999・8 この頃読んだ本

 やはり何と言ってもアーサー・ランサム全集
(アーサー・ランサム 岩田欣三・神宮輝夫訳岩波書店)だろう。
「児童文学を勝手に読む会」のために今回読み返したのは
「ツバメ号とアマゾン号」、◎「ツバメ号の伝書鳩」
「スカラブ号の夏休み」、◎「ひみつの海」
「オオバンクラブの無法者」、◎「六人の探偵たち」の最初と最後、
「長い冬休み」の冒頭部分(読んだ順)。これらを読み返すのは、とてもひさしぶり。
 このシリーズ、最初に出会ったのは中学1年の時。
学校の図書館の棚に、グレーの飾り気のない分厚い背表紙がずらっと並んでいるのを見た時は、
何かとても異様な感じがした。
狭い通路にもぐりこんで一冊抜き取ると、ずっしりとした手応えがあった。
分厚い本を読む、ということに価値を見出だしていたので、即座に借りることにした。
そして、ランサムの世界(正確にはツバメ号とアマゾン号・キャンプとヨットと冒険の世界)に
はまったのだった。彼等の冒険にすごく憧れた。
 学生の頃、乏しいお金をやりくりし、新宿ルミネの上の山下書店まで行っては
一冊づつ買い揃え仰た。しかし、就職すると、このたっぶりした世界を味わう暇はなくなってしまった。
アガサ・クリスティなどは何度も読み返したのに。
「長い冬休み」や◎「シロクマ号となぞの鳥」は手にとった記憶があるから、
全く読んでいないわけではない。
それでも、じっくりと浸るにはあまりにも気忙しかったようだ。
 今回も時間がなくて全部は読み返せなかったが、
「ツバメ号とアマゾン号」を読み出した途端、その世界にどっぷりとつかってしまった。
次から次へと読みたくて、電車の中でもこの分厚いのを広げたりもした。
そうして一週間で5冊半。

 新鮮だったのは、子どもたちがすぐに空想の世界に入っていくこと。
それも兄弟で同じ世界を共有していくこと。ティティが物語の知識もあり、
あれこれ思いつくのはわかるが、年長のジョンまでもが、いっしよに
すっとその世界に入っていってしまう。だからこそ、アマゾンたちと出会ったとき、
海賊という符牒で仲間と感じ意気投合できるのだし、
「ひみつの海」でも、地元の子たちを引き込んでしまえるのだ。
 今回の勝手に読む会で、ジョンは「ツバメ号〜」で十二オ前後だろう
(ロジャは7才、ヴィツキーは2才、後の子は書いていない)という話を聞いてびっくりした。
もっと大きい一四、五才だろうと思っていたからだ。
小学生ばかりの子ども四人が、湖の真ん中の島で何日もキャンプをするのだから、
やっぱりすごいことだろう。
 その年齢ならごっこの世界に簡単に入れるだろうし、
たっぷり浸った世界を毎年継続させるのは、さほど難しくはないだろう。
物語の中の現実に起こっていることもすごいし、そこにごっことして付加されている冒険もすごい。
 印象的だったのは「〜伝書鳩」の冒頭で、ティティが学枚の生活は遥か彼方に消え去り、
本当の生活に戻ってきた。と感慨にふけることだ。
この真の休暇の非日常が、「本当の生活」と感じるくらい、
そこで生ききっているのだろう。羨ましい。

 さて、話は代わって近未来小説で読み応えがあったのは
「スロー・リバー」(ニコラ・グリフィス ハヤカワ文庫)。
富豪の娘が誘拐され、怪我をしたまま裸で街に放り出される。
この話のポイントの一つは人物確認が手に埋め込まれたマイクロチップでなされ、
支払いも全てそれを照合する点と、汚水処理は遺伝子組み替えで作られたバクテリアでなされている点。
また、主人公は女性に恋をするのだが、同性愛も異性愛同様当然なこととして描かれる。
徐々に自分を掴み取っていく主人公と支える女性がかっこいい。

 やはり近未来小説と言えるのか、SF・ファンタジーの中の歴史改編物というジャンルらしい、
「精霊がいっぱい」上下(ハリイ・夕−トルダブ ハヤカワ文庸)も汚染がポイント。
こちらは機械力の代わりに魔法が生きている世界だが‥中世的世界ではなく、
現代のロスアンジェルスそのまま。
 でも自動車ではなく絨毯で移動し、電話はそこに住む小鬼が伝えるなどという発想。
そこで最終廃棄場の周辺に有害な魔法が染み出してきて、
狼男や魂のない子の出生率が以上に高いことが判明。
環境保全局の役人である主人公が四苦八苦するという話。
パロディや風刺もふんだんにきかせて、タッチは軽いが楽しめる作品だった。

 「わたしにもできる銀行強盗」「わたしにもできる探偵嫁業」
(ジーン・リユーリツク ハヤカワ文庫)は六〇代の女怯が主人公。
でも、結構アクティブ。切羽詰まってだか、本当に「銀行強盗」をしてしまう。
脇投たちも個性的で肩のこらないミステリイに仕上がってる。
      ひつじ


  
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