児童文学を勝手に読む会 2000年度版


2000・12
ローズマリー・サトクリフ/はるかスコットランドの丘を越えて
2000・10
荻原規子/薄紅天女
2000・9
小野裕康/日高見戦記 
2000・8
伊藤 遊/鬼の橋
2000・7
角野栄子/魔女の宅急便
2000・6 ルイス・サッカー/穴
2000・5
エリナー・ファージョン/町かどのジム
2000.4
キャサリン・パターソン/ワーキング・ガール
2000・3 アストリッド・リンドグレーン/ちいさいロッタちゃん
2000・2 神沢利子/銀のほのおの国
2000・1 
シド・フライシュマン/マクブルームさんのすてきな畑

現在にもどる>>



児童文学を勝手に読む会 2000・12・20
「はるかスコットランドの丘を越えて」ローズマリー・サトクリフ
 久々に手ごたえばっちり、堪能させてもらいました。一年の締めくくりがこれで良かったね、と
いう声も。サトクリフの本を読むのは初めての機会だったので、一気にだいたいの本(新作はまだ!)
を読ませていただきましたよ。ほんとに面白かった。歴史は人生の集積であるという言葉を裏付け
るような、重みのあるそしてすがすがしいストーリーテラーですね、サトクリフは。
 お話は17世紀イギリス「名誉革命」の時代。主人公ヒュー・ヘリオットは、画家の父と駆け落
ちしてきた母のどちらをも亡くし、母方の祖父にひきとられます。しかし一族を裏切ったとされる
母の息子である彼に対し、風あたりは強く、やがて祖父の導きからダンドネル家のペイズリー館に、
馬屋番として雇われることになります。複雑に絡み合った出来事の中を、クレィヴァーハウスの伝
令として駆け巡ることになるのです。国王の騎兵隊である「冷酷クレィヴァーハウス」と呼ばれた
ジョン・ゲレアム・コロネル(将軍)の生涯がヒュ−の目を通して語られてゆきます。いやほんと
イギリスの歴史は複雑で、あらすじは私なぞには語れませんので、あしからず。しかし取り上げた
い素晴らしい些細なシーンが沢山ちりばめられていて、どこをとっても美味しく頂けるフル−ツケー
キのような作品なのでした(スコッチケーキ?)。残酷なシーンもあるし荒々しいのだけれど。
 サトクリフの作品の中では幼年向けの「子犬のピピン」や「竜の子ラッキーと音楽師」も良かっ
たけれど、「運命の騎士」と「銀の枝」が私は好きですね。「第九軍団のワシ」「ともしびをかか
げて」「銀の枝」は主人公アクイラの三部作。時代はどれも違い、同じ登場人物も出ないくらい、
時は流れていますが、同じ家系のお話です。じつはこのあとに「辺境のオオカミ」という作品があ
るらしいのだが、日本では出版されていないようです。残念。
作品群の中で常にテーマとなっているのは、集団に属するということ、それと忠誠心。主人公はい
ずれも孤独な時期を経て、自分の生きる世界を、何のために忠誠を誓うのかを「自ら」選んでそれ
に従います。それは血族と違う道であったり、軍隊であったり、自分とは何の関係もなかった部族
だったりします。自分は自分、人は人。違う神でも、信じる気持ちは同じ、というところでしょう
か?そして勿論自分の選んだ道に後悔なぞしないのです。(苦い気持ちや、揺れ動く迷いはありま
すが。)「銀の枝」の奴隷クーレンは、自由になったほうがいいんじゃないのか?という問いにこ
う答えます。「自由というのは、ご主人さまがいないということーーそれに腹がすいているという
ほかにどんな意味があるんでしょうか?」履き違えた「自由」という言葉が横行する現代にこの言
葉は、ずしりと響きます。自由の別の面もちゃんと見なくてはね。信じてるモノがない人間を誰が
信じてくれるというのでしょうか?現代日本人がアイデンティティが希薄といわれる所以はその辺
にあるのではないでしょうかね。今、信じられる人や尊敬できるものが少なくなっていると感じま
せんか。「忠誠心」といっても、自分の気持ちを押し殺して従うというのではなく、誰かと信頼関
係を築くことの大切さが、簡潔に書かれていて感動を呼ぶのですね。それは友人関係にも当てはま
ることだと思いませんか?サトクリフは人と人が友人となる瞬間も、些細な動作の中からすくいと
って、私たちの前に広げてくれます。
 しかしイギリスの歴史物を読んでいて思うのは、誰か人体模型のようなものをつくってくれない
かなあ・・・、と。黄色い目、とか足の長いハイランドの人とか、ローマ風の顔だちとか、茶色の
肌、小さな黒人、って??史実とずれそうで想像出来ない。カラー版民俗衣装つき、宗教つきで、
本になってないかしらん。誰か知っていたら教えてくださいまし。なんだか長くなってしまいまし
たが、今回はこれにて。
 来年一月は斉藤洋の「白狐魔戦記」日本の歴史ものです。あれ?終わった筈だったのにな?まー
まー、2月はカニグズバーグやりますので、御期待あれ。 (新倉)

モドル→


児童文学を勝手に読む会 2000・10・
薄紅天女/荻原規子
 めっきり秋の気配。って遅くないかい?もう11月の声も聞こえるというのに。暦と四季がずれ
ているような気がしてならない今日この頃です。うるう月でも設けてみればぴったりするんじゃな
いかなあ?
 さておき、日本歴史ファンタジー第三弾。薄紅天女でございます。「空色勾玉」「白鳥異伝」
「薄紅天女」で勾玉三部作などと言われていますが、どれも独立したお話。時代も違うしね。私が
「空色勾玉」を読んだのははるかかなた昔のような気がしますが・・・。お話はというと、前回と
年代は同じ頃、坂東の竹芝には二連(にれん)と呼ばれる二人の若者がいた。叔父と甥の関係にあ
たるが同じ年の二人の少年、藤太と阿高は十七才。自分の母が蝦夷だったことを知ってしまった阿
高は、蝦夷にさらわれるようにして、藤太の元を去ってしまう。蝦夷の巫女であった母チキサニの
生まれ変わりと信じる蝦夷たちに、違うとも言いきれない阿高は、蝦夷同志の争いにまきこまれた
り、巫女として隔離されたりするうちに母チキサニのものであったと思われる強大な力を手にいれ
てしまうが自分ではうまくコントロールが出来ない。そこへ都の魔物を退治するために必要だとさ
れる、赤い玉の乙女を探しに坂東まできた「坂上田村麻呂」。赤い玉の乙女を阿高だと確信する彼
とともに藤太は、阿高救出に向かうのだが・・・。長いんだよ。ここまででまだ前編のあらすじと
いったところかな。後編(第二部)は「苑上」帝の娘、皇女である彼女の物語り。内親王であるた
め、皇族や重臣に嫁ぐこともままならず、ましてや帝という位を継ぐわけにもいかず、自分が何も
出来ないことに鬱屈している一五歳。母上は亡くなってしまうし、兄上の具合も良くない。魔物の
徘徊する都を出て、伊勢の社へ行くことになった苑上は、藤原仲成(薬子)にそそのかされ(?)
弟と入れ代わって、行動を共にすることに・・・。後は自分で読んでね。この本の厚さに関わらず、
夢中で読んでしまった。いつもそう。「白鳥異伝」も夢中で読んだ。しかし読後感がいまいち・・・。
なんでなんだろうなあ、と考えていたらどうも主人公に共感が持てない、という一言につきるかな。
女の子が動かないんだよ。奔放で、行動力のある主人公として描いているわりには、実はそうでは
ない、という。あのページ数を夢中にさせる位の文章力があるとは思うのだけど、もったいない。
ここは趣味の違いということなんでしょうか。ファンタジー色が濃いせいか歴史的背景があまり気
にならなかったかな。厚さのわりに軽いです。
 さてと、他の作品。西の善き魔女のシリーズは、(これまた長いんだよ。)うってかわって?異
世界で、騎士道もの。で、血筋もの。どうやら幼馴染みがはっとして、という恋愛パタ−ンが好き
なようですが。外伝1、2と続きそうな雰囲気です。もともと長い話を書く人だから、こういう巻
ものが良いのかも。一巻読んで嫌ならやめられるしね。(やめられないか・・・。)
荻原さん本人がやっている公式ホームページもあるので、興味のある人はそちらもどうぞ。
第四段と続くのです。日本歴史もの。次は「月の森にカミよ眠れ」上橋菜穂子です。私は「守人」
シリーズのほうが好きかなあ。でも日本歴史ものではないか。
いらしてくださいまし。あ、今回は横浜から、お母さまと中学三年生の方もいらっしゃってくださ
いましたよ。嬉しい限りです。それではまた来月。

モドル>>>



児童文学を勝手に読む会 2000・9・21 新倉可奈子
日高見戦記/小野裕康
 さて日本の歴史ファンタジーを読もう第2弾は、「日高見戦記」。時は古代末期、前九年後三年
の闘いの頃、別名「光の君」と呼ばれるほどの美貌をもった源氏の若大将、八幡太郎義家は、蝦夷 
日高見国の反乱を討伐するため陸奥国へと向かっていた。おれたちも兵になって戦おうぜ、と無謀
な企みを胸に村を抜け出したヨドリ12才。に、なんとなくくっついてきた滝丸。
 実はこの地味な滝丸くんが主人公である。はじめはこの滝丸、狂言回し的な存在で、八幡太郎の
活躍を語ってゆくのだろうと、思いきや「光の君」はあらら?ぜんぜん出てこなくなってしまう。
ヨドリもすぐに消えてしまうし、そのかわりといっては何だが妙なキャラクターが続々出てくる。
源氏勢のなかには両目をとられたという(妖術使い?)陰陽師、道摩とその力の源である憑人(よ
りまし)の朝虫。対する日高見国なんてもっと大変で、コロボックルに自らをカ−ムと呼ぶ小人ヒ
キメビト、しかも彼等は宇宙人だというのだから・・・。そんなあ、超能力大合戦にしなっくたっ
ていいのになあ…。
というのが正直な感想。陰陽師だって別に妖術つかわなくたっていいじゃない?そこがかっこいい
んだと私は思うのですけどね。ま、収拾がつかなくなったのか最後はあっけなく終わり、何がいい
たかったのかなあ、という疑問が残ってしまうのです。しかしこういうの、何かに似ている。ゲー
ムの世界?なんでヒキメビトが宇宙人なのかとか、滝丸ばかりが運が良いのかとか、そんなことに
こだわっちゃいけないのです。アイテムをそろえないと敵は倒せないということなのでしょう。し
かしなあ、ヒキメビトは遮光土偶?朝虫って朝虫温泉?扉の地図だと多賀城はここだけど、え?仙
台ってこの辺だっけ?戦は終わっちゃったみたいだけど、いつから三年も経ったの?考えはじめる
ときりがないのでこの辺で。こだわって読んじゃいけないのだ。しかし表紙の諸星大二郎の
絵はどうなんだろう・・・。私は手に取る気が失せるのだが・・・。
 前回の「鬼の橋」のほうが結構しっかりしていたのでは?と改めて思い知らされるようでした。同
じ作者の本「少年八犬伝 上・下」のほうが面白かったかな。でもこちらもラストはなんだか収拾つ
かなくなっちゃった感は残る。登場人物を出し過ぎ?「ブリガドーンの朝」は妖怪の話で宇宙人も出
てくるので、きっとそれらが好きなんだなあ、というのは伝わります。
ふう、歴史ものって登場人物が多くて、しかも名前が似たようなもんだから親近感が湧く前に死んじゃっ
たりして、どうも戦乱の流れについて行けない私です。誰かもう少し、ゆっくり丁寧に面白く書いて
くれないものかしらん。

 さて来月はおまちかね?「薄紅天女/荻原規子」です。まだまだ続くよ、歴史物。

主な作品
少年八犬伝 上・下/理論社/1988
ブリガドーンの朝/理論社/1996
さわがしめいわく七曜日
/「だいきらいがいっぱい」に収録 フォア文庫

モドル>>>


児童文学を勝手に読む会 2000・8・23

鬼の橋/伊藤 遊

 ますます厳しくなっているような残暑ですが、みなさんいかがお過ごしですか?近頃の湿気が
たまらなく私をノックアウトしている今日この頃ですが、夜更けにはもう虫の音が。秋は近付い
ているのですね?と少しほっとします。
 日本の歴史をベースにした、お話ということで今回選ばれた「鬼の橋」ですが・・・。みなさ
んの反応はイマイチ。パンチに欠ける、印象が残らない、作者は何が言いたかったのかなあ・・??
さてお話ですが、主人公はとても可愛がっていた異母妹を亡くしてしまったばかりの「小野篁」
12歳。自分に対するやるせない怒りを橋にぶつけたところ、「橋にあやまれ」といさましく、
まずしい身なりの少女に出会います。自分とは関係ないと思いながらも少女と橋が気になってし
まう篁。妹を亡くした衝撃から立ち直れず、鬼が住む異世界へと引き寄せられて行くのですが・・・。
「異世界」の様子や、人を喰らうという「鬼」、そして死後なお都を守っている「坂上田村麻呂」。
田村麻呂に角を折られ、人間界にさまよい出てしまった鬼「非天丸」。その「非天丸」を慕う身
寄りのない少女「阿子那」。なんだかとても面白くなりそうなのに、残念。「小野篁」だって
「田村麻呂」だってもっと魅力のあるキャラクターに仕上がった筈。登場人物として選んだくら
いだから作者が嫌いなわけはないのだから。
 しかし挿し絵の太田大八さんの絵がすごく良かった。でもストーリーにはそぐわないちぐはぐ
な印象を受けます。イメージはやはり絵には引きずられてしまいますね。好みでない装丁とか挿
し絵だと、手にとっても棚にもどしちゃう。それで失敗している作品も、私は沢山あるのだけれ
ど。この話しは絵に負けてしまっている感じ。かえってもっと軽いノリの絵だったほうが良かっ
たのでは?もっと恐くても良かったのになあ。鬼が出てくるシーンとか。子供のころ「鬼は実在
した!」とかいうドキュメンタリータッチのテレビをうっかり祖母の家で見てしまい、すごく恐
くてドキドキしたのを思い出してしまった。鬼がいたという伝説の残る地域を旅する、といった
内容だったと思うのだけれど、そういう恐さ、もっと出せなかったものだろうか。作者も新人賞
ということなので、これからに期待してみましょうか。
 中学生のみなさんは、一体これを読んでどんな感想文を書くのでしょうね。読んでみたいもの
です。
 あまり好評でないテーマだったにも関わらず、(夏休みということもあって)私の誘った人た
ちが参加してくれたので、ちょっと満足。でもどうせなら「この話は最高」って盛り上がった回
のほうが良かったかしらと、ちょっと心残りではあります。さあさ、みなさんも参加しませんか?
そろそろ読書の秋も近くなってきましたよ。
でも続くのです。日本歴史もの、第二弾、次は「日高見戦記」。さてどうなることでしょう。

                                            にいくら
モドル>>>



児童文学を勝手に読む会 2000・7・19
魔女の宅急便/角野栄子
 寒い日が続いておりますが、みなさんお元気でお過ごしでしょうか?いや、クーラー冷え過ぎだ
と思うのですが。長そでが手放せない私としては、ホントにみんなそんなに暑いの?と首をかしげ
てしまいます。夏は暑い暑いといいながらだらだら過ごしましょうよ。だって夏ってそういうもの
でしょ?
 さて本題。今回はアニメでおなじみの「魔女の宅急便」。私はアニメの方を先に見てしまってい
たので、お話を読んでもなかなか自分のイメージを再構築するのが難しく残念。原作のあるものの
映画化というのは良くも悪くも、両者が比較されてしまうので、難しいものです。でもやはり原作
を先に読むのが私は好きですね。自分のイメージでこころゆくまで楽しんだあと、ふむふむここは
こうしたのね、とか、こういう解釈もあるんだ、とか、あのシーンを削っちゃうなんてどこ見てる
の!とか文句をいいながらも他人のイメージを楽しむことで、二倍の面白さが味わえるのではない
かと思います。
 ストーリーはといいますと、時代は古き良き「村」「町」が一つの塊として機能していた時代と
でも申しましょうか。まだまだ機械化がそんなに進んでない時代。魔女の子は13歳にして親元を
離れ一人立ちをするのです。魔法といっても使えるのはほうきに乗って空を飛ぶことだけ。新しい
町で、「もちつもたれつ」生活してゆくにはなにかと大変。「魔女の宅急便2」では新しい魔法も
増え、少しずつ成長してゆく姿がうかがえます。あら?絵が違う。そう、1と2ではなぜか絵を描
いている人が違うんですね。どちらかというと、1の方が私は好みなんだけれど。さ、みなさんも
見比べてみてください。
さてさて、作者の角野栄子さんといえば、おばけの「アッチ」のシリーズや、ミッフィ−の訳も手
掛けていて、その本の数たるや160册を超える勢いです。おばけの「アッチ」には私も子供のこ
ろ楽しませてもらいました。幼年童話的な作品が多い角野さんですが、「ズボン船長さんの話」や
「アイとサムの街」などは結構長く、対象も上の人向け。私は「アイとサムの街」は長年背表紙だ
けをながめつつ、図書館などで手に取っ手は読まなかった本なのですけれど、実は吉祥寺が舞台で
あるらしく、あらあらそれはもしかしてここのこと?などと思いながら楽しめます。
角野さんの描く女の子があまりにもまっとうな女の子なので、私はちょっと物足りなかったりして、
もっと葛藤しないの?とか思ってしまうのですが、それは育ちの良さというか、今は少なくなって
しまった(?)いわゆるお嬢さんであったろう、角野さんの人となりが伝わってくるというもので
す。みんながみんな葛藤してても仕方ないもんね。実はちょっと羨ましくもあるのです。葛藤せず
女性性を受け入れることの出来る女の人が。みなさんはどうでしょうか?
 来月からは日本の歴史にちょっと注目して、題材を選んでゆきます。次回は「鬼の橋」。
歴史に興味のある人もそうでない人も、一度のぞきに来てみませんか?ちなみに私は歴史は走って
逃げたくなるほど苦手なのですが・・・。

モドル>>




児童文学を勝手に読む会 2000・6・21

ルイス・サッカー/穴

 久しぶりにコミカルな「お話」を読んだという感じ。なんだか暗くて辛いシニカルなお話なので
はないかな・・・?と思って読みはじめたらこれが全然、滑稽でおかしいのだ。
 さて、主人公のスタンリー・イエルナッツ4世。上からよんでも下から読んでも、(英語では)
同じ名前。というのが気に入って、イェルナッツ家の男の子はみんなスタンリー。お父さんもおじ
いさんも、ひいおじいさんも。そして、代々「まずい時にまずい所にいたためにまずい立場にたた
された」時のおきまりのセリフはこれ。「あんぽんたんのへっぽこりんの豚泥棒のひいひいじいさ
んのせいだ!」代々の不運はこのひいひいじいさんが豚を盗んだために子々孫々にいたるまで呪い
をかけられたせいだというけれど・・・?そしてやっぱり「まずい時にまずい所にいたために」盗
んでもいないのに、泥棒のぬれぎぬをきせられたスタンリーは更正のため「グリーン・レイク・キャ 
ンプ」へ送られ、毎日干上がった湖の底を来る日も来る日も「穴」を掘るはめに。キャンプには一
筋縄ではいかないようかキャラクターがいっぱい。それに子供達にはへんなあだながついている。
X線、脇の下、磁石、イカ、ジグザグ、ゼロ。スタンリーは原始人と命名され、次第に皆と打ち解
けていくのが・・・。きついキャンプ生活の話しを軸に、スタンリーのひいひいじいさんの豚泥棒
の話や、西部きっての無法者「あなたにキッスのケイト・バーロウ」の話が、折り込まれていて、
複雑にからみあった真実がだんだんときほぐされてゆく・・・。スタンリーの運命やいかに??すっ
きり爽快な読後感。楽しめますよ。
 作者のルイス・サッカーですが、アメリカの子供達には絶大な支持を受ける人気作家だそうです。
「地下室のジョニー」「いつの日かアンジェリンは」「マービン・レッドポスト・シリーズ」と沢
山書いているみたいですが、残念ながらどれも未訳。邦訳されているのは「トイレまちがえちゃっ
た!」。こちらもコミカルで楽しく読めます。「穴」のようなおとぎ話的要素はなく、現代的なお
話ではありますが。クラスのだれともうまくやれない嫌われ者で問題児のブラッドリー。ある日学
校にカウンセラーのカーラがやってきて・・・。難しい問題も明るくコミカルに楽しい読みものに
してしまう、これがこの作家の力でしょうか。ちょっとドタバタ喜劇的。読んだ後はすっきりさわ
やかな気分になれるでしょう。子供社会の微妙なところをさらりと書く手口は、流石、アメリカで
人気があるのもなるほど、とうなづけます。

作者略歴
 1954年生まれ。1998年度「全米図書賞」1999年「ニューベリー賞」ほ
か多数受賞。

1998 トイレまちがえちゃった!/講談社
1999 穴/講談社

モドル>>>



児童文学を勝手に読む会  2000・5・24
  町かどのジム/エリナー・ファージョン/学習研究社
 エリナー・ファージョンというと、「マーティン・ピピン」や「銀のしぎ」を思いだします。町
かどのジムは大好きで、本ももっていたのに、不覚にもファージョンの作品だと知らずに育ってし
まいました。(出版社が違うせいか?)
 さてお話のほうですが、八歳の少年デリーと船乗りだった八十歳のジム。ジムは、町かどのミカ
ン箱の上でふつうの船乗りにはちょっと味わえない奇妙な冒険を、デリーに語って聞かせます。私
が好きなのは、ぶあつく切ったパンにはさんだベーコンのはなし、と月をみはる星のはなし。ちい
さい頃に読んで、思い入れのあるお話だと、どうしても第一印象が強くて、懐かしいとか、ここが
好きだったとか、そんな感想になりがち。困ったものです。特に私は食べ物に関する描写にばかり、
思い入れが強いようです。(でもおいしそうなんだってば!)
 ファージョンは伝記や自伝も沢山出版されているので、そちらのほうもお勧めです。父親はイギ
リスの作家で、母親はアメリカで有名な俳優の娘。学校へは行かず、本に埋もれて育ったという、
ファージョンには兄と、二人の弟がありました。いずれも作家や音楽といった芸術方面へと羽根を
広げます。父の仕事柄、子供達のまわりには、詩人や俳優といった人物が多く出入りしていたよう
で、ふつうの人とはちょっと違う子ども時代を送ったようです。中でも兄ハリーとの結びつきはか
なり強く、二人でつくり出した、いわばごっこ遊びの延長ようなものを、25歳まで続けていたと
いうから驚きです。そういった誰かと結びついた密度の濃い世界を、25歳まで続けられたという
のは羨ましくもあり、恐ろしいことでもあります。世界を再構築するのは容易い作業ではなかった
でしょう。
 そんなこともあり、ファージョンの作家としてのスタートは遅いのですが、イギリスでは詩人と
しても有名のようです。日本では「マローンおばさん」が一番相性の良かったという画家アーティ
ゾーニの絵で、出版されています。
ファージョンはちいさなお話がいくつも、といった感じの本が多いのですが、長く読みごたえのあ
るお話が好きな方には、「銀のしぎ」と「ガラスのくつ」。「ガラスのくつ」はおなじみシンデレ
ラのお話ですが、ファージョンが語るとこうなるのか、と納得。暗いイメージはなく、ちょっとし
たどたばた劇になっています。
 余談ですが漫画家の山岸涼子が、どうもファージョン自身をモチーフにしたと思われる「パニュ
キス」という作品を描いているので、(事実とは違うのですが)興味のある方はそちらもどうぞ。
文春文庫「シュリンクス・パーン」に入っています。

エリナー・ファージョン1881-1965

   父はイギリスの作家。母はアメリカで有名な俳優の娘。芸術的雰囲気の
   あふれる家庭で、学校へは行かず、本にうもれて育ちました。
主な作品
1965 町かどのジム/江口進/松岡享子/学習研究社
1970 @年とったばあやのお話しかご/エドワード・アーティゾーニ/石井桃子/岩波書店
     Aイタリアののぞきめがね/エドワード・アーティゾーニ/石井桃子/岩波書店
1971 Bムギと王さま/エドワード・アーティゾーニ/石井桃子/岩波書店
1972 Cリンゴ畑のマーティン・ピピン/リチャード・ケネディ/石井桃子/岩波書店
1974 Dヒナギク野のマーティン・ピピン/
       イズベル&ジョン・モートン・セイル/石井桃子/岩波書店
1975 E銀のしぎ/E・H・シェパード/石井桃子/岩波書店
1986 Fガラスのくつ/E・H・シェパード/石井桃子/岩波書店
1993 想い出のエドワード・トマス/早川敦子/白水社
1996 マローンおばさん/エドワード・アーティゾーニ/阿部公子・茨木啓子/こぐま社
1998 ねんねんねこのねるとこは/アン・モーティマー/まつかわまゆみ/評論社
2000 エリナー・ファージョン自伝/中野節子・広岡弓子・原山美樹子/西村書店
1079 クリスマス物語集(セント・ニコラスの話)/中村妙子 編/偕成社
1986 銀色の時 イギリス・ファンタジー童話傑作選
      (すばらしい騎士)/神宮輝夫 編/講談社文庫
1992 猫物語
      (スプーナー)/富士川義之 編/白水社
伝記
1988 エリナー・ファージョン-その人と作品-/アイリーン・コールウェル著/むろの会/新読書社
1996 エリナー・ファージョン伝-夜は明けそめた/アナベル・ファージョン
     吉田新一・阿部珠理/筑摩書房
     




児童文学を勝手に読む会 2000.4
 ワーキング・ガール/キャサリン・パターソン/偕成社
 なんて物語りの最後をひっくくる力のある人なんだろう・・・。パタ−ソンのお話を読んでみて、
初めてもった感想はこうである。短編は趣きがちょっとちがうけれど、他のはどれも最後に意外な
飛躍的な結末が待っている。いわゆるヤング・アダルトというジャンルに属する作品なのでしょう。
ちょっと年長者むけの作品たちです。
 さてワーキング・ガールですが、現代のキャリアウーマンのお話かと想像していたら、なんと時
代は「大草原の小さな家」の頃、アメリカの女工のお話でありました。父親は帰ってこないし、母
親はだんだん会話もあやしくなっているし、弟妹はまだ赤ちゃんだし、唯一たよりに出来る弟だっ
てまだ11歳。自分がなんとかしなくっちゃ、食べることもままならない。主人公のリディは畑仕
事や家畜の世話を一生懸命するのですが、結局借金返済のために、弟は粉屋へ、自分は宿屋の住み
込みメイドとして、売られるように守ってきた家を後にすることに。やがて、ひょんなことからメ
イドをクビになってしまったリディは、女性でも大金が稼げるという、都会の紡績工場をめざすの
だが・・・。
家族のため弟のため、脇目もふらず不平も言わず、黙々と仕事をつづけるリディを待ち受けていた
ものは・・・。うるおいや余裕がなくて、苦しくて辛いお話の筈なのだけれど、近頃忘れてがちな
「お金を稼ぐことの喜び」や「学ぶことの喜び」がダイレクトに伝わってくる。仕事があってお金
が稼げるってなんて素敵!本を読むってなんて素晴らしいの!勿論そう一筋縄ではいかないのだけ
れど。
 キャサリン・パターソンは四年間日本に滞在していたこともあり、日本の民話の翻訳などもして
いるそうです。日本を舞台にした作品も多いというから、是非それらも読んでみたいのだけれど、
日本語訳されている作品の中には見当たらない。残念。なかなか異色のラストシーンを用意してく
ださる作家なので、ありきたりなお話に飽きてしまった人にはおすすめ。「父さんと歌いたい」は
わりと軽めで、楽しく読める。カントリーミュージックが聞きたくなるかも。「北極星を目ざして
」はワーキング・ガールの続編とも言うべき作品。時代背景と舞台が同じ。でもリディのお話では
ありませんよ。念のため。重くてもかまわない、どっぷりつかりたいわ、というひとには「海は知っ
ていた」。兄弟に嫉妬を燃やしたことのある人には耳が痛い作品かも。双子の姉妹のお話です。で
も主人公がなかなか動こうとしなくて、はらはらしちゃう。もー、ページこれだけしか残ってない
のにどうなっちゃうんだろう?いらぬ心配をしてしまった。他の作品も面白いので是非、どうぞ。
子供の頃の必死な気持ちが、全編通して伝わってきます。
                                      にいくら


児童文学を勝手に読む会 2000・3

ちいさいロッタちゃん/アストリッド・リンドグレーン

 さて今回は映画も来ている「ロッタちゃん」です。ピッピやエーミール等でお馴染みのアストリッ
ド・リンドグレ−ンの作品です。1907年生まれ(!)の彼女、現在はもう執筆活動はしていない
そうですが、まだまだお元気でいらっしゃるようです。
コンビの作品も多いイロン・ヴィークランドの絵も素敵です。子どもの頃、ロッタのやんちゃぶりに
ハラハラしながらも楽しんで読んだ記憶がよみがえりました。私のお気に入りは「ぶたくま」さんの
バムセだったかな。あんなぬいぐるみが欲しいと思っていました。
今回話題にのぼったのは、お母さんの接し方。生意気なくらい自分の権利を主張する子どもに対して、
怒ったり、どなったりと感情的には決してならず、ゆったりとした態度で向き合います。家出したロッ
タにも帰ってらっしゃいとは言わずに、あなたがいなくて淋しいわ、と自分の気持ちを話ます。こん
なふうに余裕をもって子どもに向き合えたら素敵ですよね。
ちなみにリンドグレーンの作品の中で、私が好きなのは(勿論どれもいいのですが。)
「わたしたちの島で」と「ミオよわたしのミオ」。島での夏休みのお話と、孤児の男の子のお話です。
ロバート・ヘイズル、ヴィークランドの絵も素敵です。

 作者に興味を覚えたら、昨年暮れに出版されたリンドグレーンの伝記はいかがでしょう。「ピッピ
の生みの親 アストリッド・リンドグレーン」/三瓶恵子 著/岩波書店。
エーミールの訳もしている三瓶恵子さんが書かれた本です。こちらを読むとリンドグレーンが児童文
学作家としてだけではなく、社会に対してもとても発言権を持った人物だということがわかります。
スウェーデンではとても有名な人なのですね。リンドグレーンのお誕生日をお祝しちゃう小学校もあ
るくらいなんですもの。
・・・はたして日本ではそんなことがあり得るのでしょうか?子どもから大人までに愛され誰もが知
っている児童文学作家なんて・・・。せめて名前だけでもと思うのですが。
スウェーデンにはリンドグレーンのテーマパークもあるそうですし、作品は映画、テレビドラマ、ミュ
ージカルなどいろんなものに形を変えているようです。

スウェーデンにお寄りの際はお忘れなく。                    にいくら


児童文学を勝手に読む会 2000・2

銀のほのおの国 /神沢利子/福音館書店

 なんて異色なお話しを創るひとなんでしょう。のっけから主人公のたかしやゆうこと一緒に文字通
り、「引きずり込まれ」てしまいました。日常の世界から異世界への旅行のお話はそれこそ限りない
ほどあるけれど、こんなに無理矢理ひっぱりこまれてしまったのは久しぶり。わくわく、とかどきど
き、とかそんな余裕もなく、いきなり途方に暮れる状態から物語はスタートしてしまうのです。物語
のテーマとなっているのは、「生きるために食べるということは、すなわち他の動物の生命を奪うこ
と。」
 偶然、家の居間にかかったトナカイのはく製「はやて」の呪いを解いてしまった、たかしとゆうこ
のきょうだいは、目覚めた「はやて」とともに、トナカイ王がかつておさめた国(しかし現在は青イ
ヌが猛威をふるう)にひきずりこまれ、ほっぽりだされます。案内役となるウサギ「茶袋」の登場に
より、もとの世界に戻るため「はやて」をさがす旅をしぶしぶ始めることとなるのですが・・・。
片腕のウサギは息子の「はね坊主」が荒野をわたることは危険だといって許さないが、たかしとゆう
こを止めもせずに送りだす。
「穴掘り」はたかしに食料を与えてもてなすが、うらで青イヌとたかしを追い出せば自分達一族を襲
わないよう取り引きする。
たった一人の巨人の生き残りは、かつて罠にはめられトナカイ王「はやて」を裏切った過去がある。
というように登場人物全てに二面性があり、簡単には信用できないのである。そして困ったことにそ
こには誰かを騙すという作為的な面はなく、相反するどちらも真実の姿で。
「にんじん掘り」のうさぎが言うように、「信じる信じないはお前の勝手」なのである。
 でも現実ってほんとそんなものだなあと思うのです。私が裏切られることを恐れていたころ、信頼
したり信用するから裏切られたと感じるのだ、行為ではなくそのひと自身を信じればいい。といった
ひとがいましたが・・・。信じることも裏切られることも「お前の勝手」ということで、自分自身の
選択にかかっているのでした。自分の選択にこそもっと自信をもって信じないと。
 さてもう一つの「喰うために殺す」というテーマは、どうでしょうか?私は「野生の王国」でたた
きこまれたせいか、そういうことはすんなり受け入れることが出来る子供だったのですが。かえって
「かわいそう」とかいう子供が許せなかったかな。自分だって、肉くうくせに。とか思って。自分が
実際殺さないにしても、死んだ動物の肉を喰っていることは真実だし、だからこそ、動物を敬うとい
うか大切にする心ももっと生まれてくるわけで。だってそれらに私達は生かされているわけだからね。
でも。本当は「かわいそう」という素直でやさしい気持ちも大切なんだと気付いた今日この頃。
さてみなさんはどうお考えですか?                         にいくら



児童文学を勝手に読む会  1月 シド・フライシュマン

マクブルームさんのすてきな畑/金原瑞人 訳/あかね書房

 マクブルームさんのすてきな畑では、なんでもかんでも良く育つ。野菜は当然。ほっておくと育ち
過ぎちゃって収穫するのも大変。トウモロコシなんてポップコーンに?おまけに靴だって育っちゃう?
大坂弁でくりひろげられる、なんとも不思議なナンセンスストーリー。近頃こういう類いの本を全然
読んでいなかったのでとても楽しく読めました。ホラ話というか、ユーモアというか。そんなばかな?
いやでもちょっとは本当かも…?こういう要素が足りない気がする昨今、ジャンルの一つとして必要
なのではないかしら。クエンテイン・ブレイクの挿し絵もオトボケ加減に拍車をかけます。
訳者の金原瑞人さんは、これだ!と思って大坂語訳にしたそうだけれども、こちらの方は賛否両論。
実際はこうは言わないよ、とか、大坂弁のテンポに頼っているとか。いやいや、この大坂弁にしたと
ころがなんとも・・・。意見はいろいろあるけれど、これはコムズカシイこと言わずに読んだほうが
勝ち。マクブルームさんのハチャメチャな世界で、堅くなった脳細胞をリフレッシュしましょう。読
み終わるまでにはきっと、大坂弁、うつってますよ。
 さて、作者のシド・フライシュマン。1920年生まれとかなりの御高齢。「身がわり王子と大泥
棒」でニューベリー賞を受賞しています。どうやら「孤児」と「海賊」と「幽霊」が好きなようで、
お話のなかにはよく登場します。マクブルームさんよりも、ちょっと上の年齢向けなのは「ジンゴ・
ジャンゴの冒険旅行」「十三階の海賊たち」。自分の力を試したい年頃の少年の冒険物語です。
 起承転結がはっきりしていて、うがった読者にはちょっと物足りない印象を残すかもしれませんが、
どれも古き良き懐かしい匂いのする、「お話」なのです。

その「お話」を聞いて育ったのでしょうか。息子のポール・フライシュマンも児童文学作家です。

                                         にいくら



トップへ ひとつ戻る メールへ 掲示板へ