児童文学を勝手に読む会 2001年度版


2001・12 クリスマスキャロル/チャールズ・ディケンズ
2001・11 だれも知らない小さな国/佐藤さとる
2001・10 砂の妖精/イーディス・ネズビット
2001・9 床下の小人たち/メアリー・ノートン
2001・8
秘密の花園/フランシス・ホジソン・バーネット
2001・7 木かげの家の小人たち/いぬいとみこ
2001・6 クラバート/オトフリート・プロイスラー
2001・5 夜の鳥/ト−ルモー・ハウゲン
2001・4
点子ちゃんとアントン/エーリヒ・ケストナー
2001・3
バッテリー/あさのあつこ
2001・2
ティーパーティーの謎/E・L・カニグズバーグ
2001・1
斉藤洋/白狐魔記「源平の風」


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児童文学を勝手に読む会 2001.12.19

クリスマスキャロル/チャールズ・ディケンズ

 早いものでもう年末です。初雪もちらつきクリスマスムード満点?みなさまはどんなクリス
マスでしたか?私は今回引越しにかきまわされ、あまり満喫出来なかったのが、残念。という
わけで、今回はクリスマスにちなんで、「クリスマスキャロル」。古典で、しかも王道ですね。
誰でも一度は読んだ事がある?もしくは耳にしたり、映画やドラマで見たりしているのではな
いでしょうか?児童文学なのか…?という疑問はあるのですが、絵本も出版されていることだ
し、やはり子供の時に一度読んでおかないと、大人になってから読み返した時の感動がないの
では。人生のうちに何度も読んで味わいが変化してくる本のうちの一つなのではないかと思い
ます。
 お話は、頑固で意地悪で守銭奴のスクルージの前に、過去、現在、未来の「クリスマスの三
人の幽霊」があらわれて…。普段では気付きにくい、自分とはどういう人間なのか、というの
を外がわから見せられ、スクルージは自分がいかに無力な子供だった時期を忘れ、金もうけに
しか興味が無くなっていたかを思い知らされるわけですね。最初は血も涙も無い冷血漢だった
頑固じじいが改心して良い人になる、というお話なんですが。説教臭い題材にも関わらず、人
の心の機微をなんと絶妙に捕らえていることでしょうか。いつまでたってもディケンズのお話
が古くならないのはこの辺りに理由があるのではないでしょうか?物語りに登場するアイテム
がいかに古くなったとしても、人の心の動きはそうそう変わったりするものでは、無いんですね。

 残念ながら今年はクリスマスを満喫出来なかった私ですが、再び読み返して、クリスマスっ
ていうのは何が楽しいのか再確認した気がします。なんといってもプレゼントを人にしてあげ
られる日。勿論自分が貰うのも嬉しいのですが、それよりも人に何かをしてあげられる日、と
いうのがクリスマスの醍醐味なのではないでしょうか?
苦労して時間をかけてつくった料理や飾り付け。普段は会えない家族が集まったりと、クリス
マスは「生活」を楽しむ事が最優先される日ではないかと私は思うのです。日本ではなんだか
恋人達の祭典と化していてむなしいですが、「クリスマス」が世界に浸透して、「クリスマス」
の誰かを幸せにしたいという気持ちが宗教に関わりなく広がって、みんなが楽しめる、という
のはとても素敵な事ではないかと思うのです。

 さてこの「クリスマスキャロル」さすがに古典なだけあって、いろいろな出版社から出版さ
れています。全集から絵本まで。訳もそれぞれ赴きがあって面白い。私が読んだのは太平社か
ら出ているツヴェルガーが挿し絵をしているものです。挿し絵で選んだり、全集をあさってみ
たり、子供向けの抄訳も。さてこの機会にみなさんもお好きなものを選んで、読み返してみま
せんか?

今回話題になったのは、イギリスの「クリスマスプティング」はどういうものなのか、という
こと。羊羹のようなものなのでは?いやもっとプリンに近いのでは?と様々な意見が。私はイ
タリアのパネトーネのようなものを想像していたのですが…?どなたか御存知の方、是非教え
て下さいませ。それではまた来月。

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児童文学を勝手に読む会 2001・11・21

「だれも知らない小さな国/佐藤さとる」

さてプーの森の引越しが終わったと思ったら、自分が引越す事になってしまいました。近くな
んですが、やはり引越しの準備というのは大変です。皆様は如何お過ごしですか?寒くなった
ようなならないような。冬はどこへ行ってしまったのでしょうね。

さて今回は「だれも知らない小さな国」です。個人的に思い入れのあるお話だったので、心配
していたのですがちゃんとわくわく読めました。なにしろ「佐藤さとると村上勉の作品につい
て」という自由研究を小学生の時にしてしまっていたくらいでしたので、今読んで、つまらな
かったりしたら残念だな、と思っていたのです。村上勉の絵イコール佐藤さとるのお話、とい
う図式が自分の中で出来上がってしまっているので、他の挿し絵だと何か違う感じがぬぐい去
れないという部分も手伝って あまり新しい佐藤さとる作品には手をつけていないのですが。
このような結びつきは善し悪しで、難しいものですね。(リンドグレーンとヴィークランドも
そのような関係にあったようです。)本人たちもやりにくいところがあったのだろうと感じま
す。しかしそれだけそのお話と挿し絵の世界が独立して一人歩きしている、といったところで
しょうか。完成度が高くなくてはあり得ない事だと思い、羨ましくもあるものです。
 さてお話は、物語りの語り手「せいたかさん」が子供の頃を思い出す事から始まります。子
供の時に自分だけの秘密の小山があり、そこで小さな小さな「こぼしさま」を見かけます。そ
の後戦争がおこり、引越しもし、子供だった「せいたかさん」は青年になります。やっと余裕
が出来たところで昔の事を思い出し、小山の持ち主に、今はお金もなくて買えないが、いつか
ゆずってくれないだろうかと話しを持ちかけます。そして「せいたかさん」は昔自分が見たあ
れは一体なんだったのか確かめたくて、調べはじめるのです。その頃から「せいたかさん」の
周りには小さな黒い影がうろつくようになるのですが・・・。
この「こぼしさま」「コロボックル」の描写がなんとも言えず可愛らしくて子供の時にどうに
かしてそんなものに実際に出会ってみたいものだと、夢をふくらませておりました。「ルルル
ルッ」という小さな話し声が聞こえないかと耳を澄ませたり。住んでいたのが山の中?だった
ため「小山」という場所もシンクロして、フキの葉を裏返してみずにはおれませんでした。
いぬいとみこの「木かげの下の小人たち」と同時期に書かれたということですが、日本を舞台
にして同じ小人を扱った題材のお話でもこんなに違うものだなあ、と考えさせられます。
しかしシリーズ化されていくと終わりのほうがつまらなくなってしまうのが、勿体ないかな。
「あかんぼ大将」もそういえばそうでした。佐藤さとるは短編のほうが私は好きかな。「子供
が一人でいられる秘密の場所」という題材が多いのも私を引き付ける理由の一つかもしれませ
ん。それから今回新たに発見したことは、佐藤さとるが建築科の出だということ。だから家を
つくる、という話が多いのか、と妙に納得。「大きな木がほしい」「ジュンとひみつのともだ
ち」とかそうですよね。実は私も建築科の出だったりしますが、その道に進んでしまったのも、
これらの本を読んでしまったせいかも??

さー来月は年末も押し迫り「クリスマス・キャロル」王道ですね。みなさまはどんなクリスマ
スを過ごされるのでしょう?私は家族の祭典と言った感じなのですが・・・そういえばこの頃
帰ってないなあ。
とにかくその頃には引越し作業も落ち着つかせて、心置きなくクリスマスモードに浸りたいも
のです。では。 にいくら


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児童文学を勝手に読む会 2001・10・17

砂の妖精/イーディス・ネズビット

 秋もまっただ中となりました。皆様いかがお過ごしですか?私は夏の疲れが今頃になっ
て出てきたらしく、初の電気針治療にせいを出しております。い、痛いよ!普通はそんな
に痛くないらしいんですがね。運動不足もたたっているので、帰りに公園一周のお散歩も
加えました。努力の日々であります。早くこの体調不良とおさらばしたいよ〜。

さてプーの森仮店舗第一弾!は「砂の妖精」。NHKでアニメにもなっていたので、(お
ねがい!サミアドン)御存じの方も多い筈?イギリスでは1902年に出版となっている
ので、百年は前のお話です。それなのでちょっと訳が古く感じたりするのはいたしかたな
いのでしょう。生活環境も今とは違いますし。私が読んだのは福音館書店発行、石井桃子
訳のものです。ミラーの挿し絵が美しい本です。しかし、サミアドってこんな形なの・・・?
とちょっとぎょっとしてしまうのは確かですが。
お話は、シリル、アンシア、ロバート、ジェインの兄弟姉妹と、一番末っ子の2歳のぼう
やが、砂利掘り場で、砂の妖精「サミアド」を見つけたことから始まります。かたつむり
のような目、こうもりのような耳、クモのようなおなかで手足は猿のよう、というこの奇
妙な生き物はお願いをかなえることが出来る不思議な妖精。みんなで一日一つのお願いを
叶えてもらう約束をするのですが、なぜか「正確にお願いをきいてもらえる」ことがなく、
いつもとんでもない結果を引き起こすはめに。
お願いとは良く良く考えてからすべきものだなあ、と考えさせられます。うっかりお願い
なんてしてしまうと困った事になること請け合い、のようですよ。このお話は三部作のよ
うで、「火の鳥と魔法のじゅうたん」「魔よけ物語り」が続きと思われます。今回は勉強
不足で読んでいないのです。ごめんなさい。
 ネズビットの作品は良く、「子供のかきわけが素晴らしく、活き活きしている」という
ような形容をされているようですが、そうかな?ちょっと疑問に感じていたのですが、ネ
ズビット以前にそういった、個人としての子供が主人公の作品が少なかったということな
んでしょうね、と納得。それでも子供としての集団が活き活きと描かれていることは確か
みたいですね。ただ兄弟順序がいまいち・・・なぞだったのですが。さ、みなさんも急に
サミアドに出会っても困ったことにならないよう、たった一つのお願いを考えてみてはい
かがですか?

来月は「だれも知らない小さな国」。またまた日本の小人と遊びます。小さい頃大好きだっ
た本の一つです。楽しみ〜。その反面、今読んでも楽しいのかどうかちょっぴり不安でも
あります。 

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児童文学を勝手に読む会 2001・9・19
 
床下の小人たち/メアリー・ノートン

なんだか突然寒くなってまいりました。もう秋ですね。やっと生命力がもどってまいりま
した。
世界的に悲惨なニュースが横行する昨今、私的にもばたばたしておりまして、早く落ち着
きたいと思う日々であります。みなさんは如何お過ごしでしょうか。
さて、今回の「床下の小人たち」。家の床下にひっそりと住み、生活用品を人間から「借
り」て暮らしている、ポッド、ホミリー夫婦と一人娘のアリエッティ。魔法を使えるわけ
ではない、彼等はただサイズが小さいだけで、人間とそう変わりありません。(ただこの
小人たちは人間は私たちのために存在する、と考えているようですが。)
安全ピンは鍵に、吸取紙は絨毯に、指ぬきはコップに、包帯はタオルに・・・と工夫して
暮らしに役立てています。そしてもちろん食料も、何から何まで「借り」て暮らしている
小人たちが恐れているのは、人間から「見られ」ること。そうなったらもう、引っ越すし
か生き延びる道は無いと信じる両親に、娘のアリエッティは「そんなことないと思うわ」
と反発するのですが・・・。
現在はどうやら絶版になってしまっているようですが、「野に出た小人たち」「川を下る
小人たち」「空を飛ぶ小人たち」「小人たちの新しい家」などの続編があります。どれも
密接に続いているお話なので、興味のある人は図書館を探してみてください。
私としては続編のほうに出てくる野生の小人?スピラーがお気に入りでした。もっとスピ
ラーの冒険物語りが聞きたい!と思っていたのに、最後のほうはあまり出てこなくて残念。
この物語りの面白さは、やはり小人が利用する道具の数々。器用に作り直したり、なるほ
どそうやって使うのか、と感心させられたり。既製品は無いわけですから、何もかも作ら
なくてはならないわけです。このお話を読んでいると、久しぶりに手作りがしたくなる・・・
そんな気にさせる作品です。
子供の時に読んでいたらもっとわくわくしただろうと残念ですね。
始めは人間のケイトという少女が小人のお話をしてもらう、という形で進められているの
ですが、シリーズを重ねるごとにそれがなくなってしまい、ちょっと疑問が残ったりしま
したが。以前「読む会」で読んだいぬいとみこの「木かげの森の小人たち」がいかにこの
本をお手本にしているかというのが良く分かってしまうので、こういう順番で読んで良かっ
たね、という声も。

さてこのメアリー・ノートン小人シリーズの他に、「魔法のベット南の島へ」「魔法のベッ
ト過去の国へ」という魔法ものも書いています。今は二つの話しがまとめられて岩波少年
文庫から「空とぶベットと魔法のほうき」という題名で出版されています。子供の頃読ん
でいて、すごく好きな本でした。だってベットで空をとぶんだよ?それだけでもう私は満
足してしまうのだけれど。安心の空中飛行。いいなあ。

次回「プーの森」引っ越し後第一弾は「砂の妖精」です。さてどうなることでしょう?
小人と妖精はいかにして違うのか?!乞う御期待。

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児童文学を勝手に読む会 2001・8・22
秘密の花園/フランシス・ホジソン・バーネット
暑い夏も、そろそろ終盤?みなさんいかがお過ごしですか?私はかねてから夢だった
「アンコールワット」へ旅行してきました。日本からカンボジアへの直行便はないの
で、タイ経由で遺跡三昧の日々。往復8時間も悪路をバスに揺られたりしながらの、
きつく楽しい日々でした。なんといっても信号がない。十字路もない。ただひたすら
まっすぐ進むのです。道路はあるけど鋪装されてない。田舎のほうは水道もない。都
市部のほうには学校へ行かずワンダラーチルドレンが沢山物売りとして働いています。
大人よりも子供のほうが稼げるというのがわかっているのでしょう。ガイドさんは
「政府はドロボウ、市民には教育がない」と熱弁しておりました。いろいろ考えさせ
られることが多い旅行でしたが、充実していて思い出すと顔がほころぶような出会い
も沢山ありました。つぎはアイルランドかな・・・?
さてさて、本題。「秘密の花園」は「小公女」「小公子」でおなじみのバーネットの
作品です。私は福音館から出版されているものを読みました。他からも沢山出版され
ているので、完訳、と書かれているものをピックアップ。それぞれ訳が違っているの
で、比較してみるのも面白いです。お話は・・・?インドで両親と沢山の使用人の中
で育ったメリーだったが、コレラで両親を亡くし、ヨークシャーの叔父のもとへと引
き取られます。お金はあるが、誰にも愛されず(相手にされず)育ったメリーは不器
量でにこりともしない「可愛気のない子供」でした。引き取られた先は豪邸ではある
が陰気なところ。何もすることがないメリーはやがて隠された「庭」の存在に気付き、
そこを蘇らせようとするのだが・・・。かつてはわくわくして読んだ記憶があるのだ
が、(家の隠し本棚?から見つけたというのも、一役かっているかも?)大人になっ
てから読むと甘い部分がやはり目立つ。しかし何かが成長するというのは読んでいて
楽しいものです。今回気になったのは、やはり子供には「ちゃんとぶつかれる相手」
が必要だと言うこと。多くの場合それは子供同志で成り立つものですが、別に大人で
あってもかまわないと私は思うのです。むしろそういう大人がいないことのほうが問
題なのではないかと。
少し御都合主義では確かにあるが、子供の癇癪とかぶつかりたいという欲求がしっか
りと書かれている作品だと思います。
しかし、鍵のかかる庭…。日本ではちょっと無理?箱庭なら…?
という理由ではありませんが、来月は「床下の小人たち」メアリー・ノートンです。

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児童文学を勝手に読む会 2001・07・18

木かげの家の小人たち/いぬいとみこ

 ますます猛暑ぶっちぎりの夏、皆様いかがですか??私はあまりの暑さにうんざり
し、突然夜中に髪をショートにするという奇行に。自分でショートにするのは初めて
なのですが、「えー自分でやったの?そうは見えないよ!」と皆様からお世辞?を頂
き、満足。まだまだ自分の姿を見なれない今日この頃です。
 さて今回の「木かげの家の小人たち」はいぬいとみこさんの作品。「ながいながい
ペンギンの話」
とか好きだったなあ、としみじみしながら読みました。時代背景が戦
時中なので、「小人」の存在がないと「戦争もの」になってしまいそう。子供の頃「
戦争もの」アレルギーだった私は、それで読まなかったのかも?祖母から聞かされる
「戦争の話」は大丈夫だったのですが、なにしろ突然「映画」を見せられたもので拒
否反応が芽生え、自ら好んでチョイスはしませんでしたね。戦時中に、「イギリスの
小人」を出現させてしまうという設定にびっくり。日本が舞台の話で、ヨーロッパ的
なファンタジーが展開されると、「なんか違うのでは・・・?」という作品になりが
ちですが、ここでは甘い要素や嫌味な御都合主義な部分があまりなく、すっきりと作
者の「思い」や「願望」が伝わってきます。ただ、この小人たちがどういう小人なの
か、というのが少し謎も残りましたが。
 さてさて、お話は・・?イギリス人英語教師のミス・マクラクランから「小人」を
受け継いだ森山達夫は、毎日一杯のミルクをブルーのコップに入れ小人のもとへ運ぶ
ことを彼女に約束します。時は流れ、役目は妹へ、子供達へ、と受け継がれてゆきま
す。達夫の娘、「ゆり」がこの物語りの主人公。最初はバルボーとファーン夫婦二人
だった小人たちも、アイリス、ロビンの二人の子供が生まれ賑やかになってゆきます
。「ゆり」は忠実なミルクの運び手でしたが、戦争により食べ物が入手困難になり、
ついにはゆり自信も一人で長野へ疎開することに。ゆりは小人たちも連れてゆくこと
を決心するのですが・・・。
「小人」と「人間」の距離感が遠く、熱意をもってミルクは運ぶけれど、友だちにな
ったりしないという設定が、新鮮な感じです。お互いを大切に思ってはいるけれど、
口出しはしない、というか、べたべたしない。とてもスマート。私としては最後の方
に出てくる「アマネジャキ」という日本の小人が、けっこう好みなのですが・・・。
(「あんたってホント天の邪鬼なんだから!」と言われて育った私が「あまのじゃく
」に親近感を抱くのは当然のなりゆきと言えましょう。)今回でてくる「アマネジャ
キ」は人と反対の事をするばかりでなく、考えていることもお見通し。「〜って思
ってるな?」という言葉は私もよく使うので、呼ばれてしまうのも仕方ないか、とち
ょっと反省。
 私は残念ながら入手できなかったのですが、「くらやみ谷の小人たち」という続編
もあるので、図書館などで借りてみるのもよいでしょう。どうやら、アイリス、ロビ
ン、アマネジャキのお話みたいですし。

 来月アンコールワットへ(一瞬)旅立ってしまう私は、旅行の準備に追われ、読む
暇がないと思われるので、「短いお話か、あんまり何冊も書いていない人!」をリク
エストしたところ「秘密の花園・完訳」に決定。・・・短いのかなあ・・・?

主な作品
書名 著者 発行年 本体価格
ながいながいペンギンの話し/岩波書店
北極のムーシカミーシカ/理論社
チャペックのこいぬとこねこは愉快な仲間
ヨゼフ・チャペック 著 いぬい とみこ 訳 井出 弘子 訳 /河出書房新社
四つのふたご物語(全1冊)/理論社
みえなくなった赤いスキー/ 大日本図書
きっちょむ昇天 阪田 寛夫 ・ 阿部 光子 ・ いぬい とみこ 著 /教文館
ゆきおと木まもりオオカミ/理論社
ゆうびんサクタ山へいく/理論社
トビウオのぼうやはびょうきです/金の星社
川とノリオ/理論社
タラノキはかせは船長さん?/ 大日本図書
ちいさなちいさな駅長さんの話/ 新日本出版社
ふうことどんどやき/偕成社

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児童文学を勝手に読む会 2001・6・20

クラバート/オトフリート・プロイスラー

 暑くなってまいりました。夏もすぐそこでしょうか?雨が少ないようなのが気になります。
どうか水不足にはなりませんように。
さて今回は、「大どろぼうホッツェンプロッツ」で知られているオトフリート・プロイスラー
のちと上の年令むけの長編、「クラバート」。ラウジッツ地方に伝わる「クラバート伝説」を
下敷きに、新たに自分のクラバートをつくり出そうとした試みです。仲間とともに浮浪生活を
していた14歳の少年クラバートは、ある夜、夢の中で自分に呼び掛ける声を聞く。その声に
引き付けられるように、一人シュバルツコルムの水車場へ向かいます。そこで親方から「製粉
の仕事」と「ほかのすべて」を習うこととなるのです。思ったよりも楽ではない仕事を職人頭
のトンダや仲間に助けられながらも、この妙な水車場に慣れてゆくクラバートだったが…。
一年目、二年目、三年目と三部に別れて話は進みます。全体に流れる重い雰囲気や、魔術の不
気味さがさらりと書かれていて、かえってそれがその雰囲気を更に濃厚にしています。初めて
読んだのはかなり前になりますが、魔術の扱い方の重さに驚いた覚えがあります。それまで魔
法といったら手品的な明るい楽しい魔法、といった扱われ方をしていた物語が多かったので、
ひどく新鮮にまたリアリティーを伴って感じられました。本当はそういうものでしょう?代償
のない魔法なんてツマラナイわってね。さてクラバートがどんな運命をたどるのかは、読んで
みてのお楽しみ。久しぶりに読みごたえのある濃厚な空気を、再び堪能させてもらいました。
ヘルベルト・ホルツィングの絵も素晴らしい。彼は絵本「みどりいろのつりがね」でもプロイ
スラーと組んで仕事をしています。小人ヘルべのシリーズではプロイスラーが自ら挿し絵を描
いています。

このクラバートどうやらアニメがあるらしい、と聞いて調べてみたところ、チェコのアニメ作
家「カレル・ゼマン」という人の作品らしいです。日比谷図書館にあるそうですが団体にのみ
貸し出し、ということらしいです。残念。興味のある方はちょこっと調べてみてください。

ところで暗い、恐い雰囲気の子供の本って、この頃少ないと思いませんか?悲しいとか悲惨と
かでなく、心地よい重さというか・・・。やはり売れないと考えられているのでしょうか?そ
ういえば小さい頃、「魔法教えます」って本が好きだったな・・・。あれも恐い本でした。字
も多いし。これが絵本??しかたない読んでやるか、といって恐い世界に引きずり込まれてい
ったのでした。恐いもの見たさ?というやつでしょうか・・・。
来月は「いぬいとみこ/木かげの家の小人たち」です。小人シリーズ突入か??

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児童文学を勝手に読む会 2001・5・16

夜の鳥/ト−ルモー・ハウゲン

 蒸し蒸し。いやな湿度が日に日に増してゆくような今日この頃。みなさんいかがお
過ごしですか?
今回はト−ルモー・ハウゲン。最近の作品では「月の石」が有名ですね。私はリアル
タイムにこの本を読んだわけでなく、福武文庫になってからなのですが、もっと昔に
読んでいたかったと思わせる本の一つです。それにしても福武文庫はよかった。もっ
と買っておくべきでした、と悔やまれます。いい児童文学たくさん出していましたよね。
もー古本屋で見つけたら即買いたい!という作品、かなりあります。
 あらすじはあまり関係がないと思われる「夜の鳥」。主人公のヨアキムは小学校二
年生。パパのト−ルエリックとママのリンダと三人でアパートの二階に住んでいる。
ヨアキムには恐いものが沢山ある。階段の茶色いシミ、怒ったときのサーラ、どこへ
いってしまうかわからないパパ。そして夜の鳥。夜になるとヨアキムを赤いくちばし
と赤い目で襲おうと待ち構えている、洋服ダンスの奥からわいてくる何千羽もの闇の
鳥たち。ママが洋服ダンスの鍵をくれたので少しはましになったけど、耳をすませば
聞こえてくる、鳥たちのがたごと言う音・・・。ヨアキムのママは「自分が何を着た
ら良いのかわからない」人たちのために、ブティックで働いている。パパは学校の先
生になるはずだった。けれどもたった三日で子供たちが恐くなり、登校拒否を続けて
家にいる。お皿を洗っておいてね、お医者さんにちゃんと通ってね、というママの言
い付けを守らず、パパはふらりとどこかへ出かけてしまう。そのたびにヨアキムは不
安になってあちこち探しまわる。
 この本を読んで、なんだ大人ってだめなんじゃん、と思って安心したのを覚えてい
ます。それまで大人を尊敬出来ないのは自分の理解力が足りないせいなのだろう、と
思っていたので。それから子供時代の不安だらけの張り詰めた世界を必死でやってい
く、という感覚がとても見事に再現されていて、そうだよそうなんだよ、と相槌打ち
たくなります。このへんは育った環境によって感じかたが違うでしょうね。うかつに
読むと忘れていた恐怖の世界に連れ戻されるような作品です。「夜の鳥」の続編とも
言える「少年ヨアキム」も必ず続けて読みたくなります。読んでも何かが解決するわ
けではないのだけれどね。
 ハウゲンは1990年に国際アンデルセン賞を受賞。翻訳されている本は少ないで
す。文研出版から出ている「夏には、きっと」「魔法のことばツェッぺリン」「消え
た一日」の三冊も身近に潜む恐怖と、父母の不和などが浮き彫りに書かれていて、恐
い作品です。
「月の石」は新しい試みなのか?ファンタジー色が濃く、そして長篇です。いまいち
ファンタジー部分が悔い足らない感が残るのが残念。両サイドの世界から語られる話
が次第に近付いて絡み合ってゆくという形をとっていますが、もっと絡んでも良かっ
たように思います。現実の部分はよりリアルな感じがして好きですが。
さあ、あなたもじめじめ寒い梅雨到来の今!ノルウェーの寒い空気にひたって見ませ
んか?新しく見えてくるものがあるかもしれませんよ。

来月はクラバート。こちらも恐くて寒いお話。そういえば鳥というキーワードも同じ
ですね。「ホッツェンプロッツ」でおなじみのプロイスラーのお話です。ではまた来
月!! にいくら

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児童文学を勝手に読む会 2001・4・18
点子ちゃんとアントン/エーリヒ・ケストナー
 衣替えの季節がやって参りました。みなさん如何お過ごしですか?梅雨時期になると
また寒くなるので、全部しまうと後で困ったことに?私は風邪がぐずぐずと完治せず、すきりしない
毎日です。
 今回は古典を読もうよ、第一弾。ケストナーの「点子ちゃんとアントン」。かねがね点子ちゃんっ
てどういう意味なんだろう、と不思議に思っていましたが、どうやら「小さい」ちゃんというニュア
ンスらしい。今なら「ちびまる子ちゃん」といったところでしょうか?点子ちゃんは裕福な家庭の一
人娘。仕事の忙しいお父さんポッゲ氏と、出かけるのに忙しいお母さん、家庭教師のアンダハト嬢、
でぶの女中ベルタ達と一緒に暮らしています。点子ちゃんてどんな子かというと、「3×8は?」と
聞かれて「120÷5」と答えちゃうような女の子。そんな点子ちゃんが選んだ素敵な友だち、アン
トンは病気のお母さんと二人暮しで、料理も出来ちゃう男の子。そんな二人がひょんなことから事件
にまきこまれ・・・?(まきこまれたというより、点子ちゃんが率先して引き起こした、という気も
しますが)一つの章に一つずつ教訓的な「反省」がついている、という形で物語りは進みます。ちょっ
と教科書的ですね。冒頭で、壁に向かって物乞いを演じる点子ちゃんのシーンで、私はかなりファン
になってしまいましたけれど、さすが古典なだけあって訳が古いなあと感じる部分もしばしば。「エー
ミールと探偵」などを読んでもそれは感じます。(新しい訳も出ているけれど。)設定というか物語
りの舞台背景がやはり、古き良きというか「時代が違う」ということを感じずにはいられません。私
があらためて今回思ったのは、ケストナーって女の子を描くのがうまいなあ、ということ。点子ちゃ
んも、ロッテも、エーミールのいとこも、その年頃の女の子ってわりとそういうところがあるんだよ
ね、って部分をうまく描き出していると思うのです。よく見てるなというか。男の子にはもっと思い
入れが働いているような気がしますが。登場人物が複数になると役割分担が出来ているのよね、男の
子は。さあ、あなたもアントンと一緒に「そら豆のスープソーセージ入り」、つくってみませんか?
ちょうどそら豆の季節でもあることだし。
 さてケストナーは伝記も何冊か出ているし、大人の本も書いているし、もともと詩人でもあるから
児童文学以外の本を探してみるのも面白いでしょう。ケストナーは書くことを禁じられたナチス時代、
亡命する作家が多かった中ドイツに残り、しかも後年わかった事には実の父はユダヤ人だったという
・・・波瀾万丈な人生を送っていますし。なかでも母親との繋がりが強く、離れて暮らすようになっ
てなお、洗濯物は実家に送るという生活を続けていた、というから驚きです。母との関係はそのまま
作品に色濃く反映されているようですね。お父さんは腕はいいが商売は下手、という革職人でした。
興味がわいた人はどうぞ。「ナチスに抵抗し続けた作家、エーリヒ・ケストナー」訳注も多く、読み
やすいです。しかしケストナーの人生にはもっと隠された何かがあるのでは?となにかしっくり来な
い気がします。なんでなのかなあ?
 来月は「夜の鳥/トールモー・ハウゲン」です。大好きな作家のひとりなので楽しみ。古典という
には新しいのでは・・・?と私は思うのですが。北欧の空気たっぷり。どうやら私は北欧系の物語に
弱いような気がする今日この頃です。みなさんふるって御参加を!
しかしこれから夏だよなあ・・・。  新倉
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児童文学を勝手に読む会 2001・3・21
バッテリー/あさのあつこ
 花見の季節もやって参りました。みなさんいかがお過ごしですか?私はインフルエンザにやられて
胃が破滅。季節の変わり目、くれぐれも御注意を。
 さて今回の「バッテリー」現在3巻目まで刊行中。続くのか?それともこれで終わりなのか?シリー
ズものってついつい続きが気になっちゃいますよね。個人的には3で終止符を打ったほうが良いのでは、
と思いますが。お話は、中学入学直前の春休みに父の転勤で、新田市の祖父の家へ引っ越してくる、父、
母、巧、青波の4人家族。主人公「原田巧」は母親の言葉によると、「誰にも頼らないで野球をやると
決めた」少年。弟の青波は身体が弱いが、明るく優しい4年生。祖父が高校野球の監督をしていたこと
もあって、野球が嫌いな母真紀子は、巧が野球をすることにあまり良い顔をしていない。春休み中に巧
は、永倉豪というキャッチャーと運命的な出会いをするのだが…。
 じつは私も野球が好きじゃないんだな。しかしこのお話の見どころは別にある。原田巧というキャラ
クターだ。もう、なんでそこまで?っていうくらいクールさ。頼らない、甘えない、自己管理も出来て
いる。でもどちらかというと、他人に心を開かない、と思われるタイプ。「野球好きの少年」なんて形
容は間違っても出来ない位、ピッチャーとしての才能は人並みはずれている。ひと昔前ならこの「原田
巧」という少年は、不良少年なんだけどホントは優しいのよ、ってキャラクターにされてしまっていた
のじゃないかな?でも違うのだ。巧は実力がぬきんでていて、いばっているように感じられがちだが、
自分の実力をただ客観的に知っているだけなのだ。こういう子供ってまず回りがそれを認めないので、
普通の方法では友人関係が築きにくい。彼にとっては野球をやるで関係がうまくいっているのではと私
は思うのだが。野球が出来るから、ちょっと変でもいいんだよ、って、回りが安心するので。本人にそ
の気が全くなくともね。みなさんも是非「巧」の切れそうなぎりぎり感、(弱音を吐かせてやりたくな
る?)とあまりにも良く出来過ぎて可愛くてたまらない弟「青波」と、巧を上回る余裕を持った「豪ちゃ
ん」の苦悩の世界を味わってみませんか。勿論、テーマは野球でね。野球好きの少年って、実はこんな
こと考えていたりしたのかなーと新鮮な気持ちで読破しました。確かに野球部に入部するために高校選
んでいた子って、いたもんなあ。
 今回は意見が割れ?こんな子供はいない!と、いやいるってば!と論争が繰り広げられ、面白かった
ですよ。初恋の要素が出てこなかったから読みやすかった、との声も。生っぽくかかれると読んでて恥
ずかしいもんね。作者の他の作品も読んでみましたが、やはり「バッテリー」シリーズが群をぬいてい
る感じ。は、中学に入学してから、。は野球部に入ってから、と時間の経過は少なく感情の動きが丁
寧に語られます。「ザ・マンザイ」「スポットライトをぼくらに」も同類項かな。全作品通して感じた
のはNHK臭がするのに、嫌味じゃない作家だな、と。私が子供のころ嫌っていた「生っぽい」描写が
少ない。「生っぽい」ってなんて表現しましょうか、大人からみた子供がいやらしくかかれているとい
うか、道徳臭いというか、日本の嫌な湿っぽさとでもいいましょうか。そうなりがちなテーマを扱って
いても、さらりと描ける。そこが上手い作家だと感じます。これからが楽しみですね。
 来月は「点子ちゃんとアントン/ケストナー」です。近頃陽気のせいかまた、人数が増えはじめまし
て、わくわくしますね。どんどん御参加くださいませ。   
 ちなみに私ごとですがHPをアップいたしました。友人とぽつぽつやっていますので、お暇な方は遊
びにどうぞ。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/q-chan/
メールでの御意見ご感想はこちら。konaka@abox2.so-net.ne.jp 新倉可奈子

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児童文学を勝手に読む会 2001・2・21
ティーパーティーの謎/E・L・カニグズバーグ
 先週は雪だったのに、今週は春のよう。また雨が降って寒くなったりして、三寒四温ってところ
でしょうか?みなさんいかがお過ごしですか?
 さて今回のティーパーティの謎。堪能させて頂きました。カニグズバーグといえば、「クローディ
アの秘密」
「魔女ジェニファとわたし」などで有名な大御所ですが、やってて良かった児童文学、
こういう本に巡り会うために読んでるんだよ、と思わせるような作品。作者はなんと、モーツァルト
の交響曲第四十番のような作品を書いてみたいと思ったとか。短い導入部分や短い繰り返しがいくつ
もあって、それぞれ別のメロディーなのに、絡み合っていてそれが繰り返しながらつながっていく…。
それを実際にやってのけちゃうところがすごい。内容は、とても一言では伝えきれない複雑さ。「博
学競技大会」(真面目なウルトラクイズと言ったところでしょうか?)に出場する、ノア、ナディア、
イーサン、ジュリアンの4人の六年生(日本では中学一年生)と新しい担任のオリンスキー先生。物
語りは「博学競技大会」の進行と共に、オリンスキー先生との出会いから先生がどのようにして、メ
ンバーを選んだか、前後しながら進んで行きます。登場人物も巧みに絡み合っていて、イギ−とマー
ガレットの結婚式から始まるのですが、イギーはナディアのおじいさん。マーガレットはイーサンの
おばあさん、結婚式の介添人をつとめたのは、なんとノアで・・・。と複雑に絡み合いながらつながっ
ていくのです。(図式化したい要望にかられます。)カニグスバーグのお話にはよく裏の策士ともい
う大人が登場しますが、今回それはジュリアンのお父さんのシンさん。古い大きな屋敷を改装して、
ホテルとなったシリントン荘の持ち主で、シェフ。もー行ってみたくなること請け合いの、シリント
ン荘の描写。読んだら絶対、熱い紅茶と一緒に一口で食べられる小さなサンドイッチを四口かけて食
べたくなりますよ。
 カニグズバーグのすごさは日常のなんでもないことと、ちょっと難しい要素を分かりやすいお話に
仕立てあげてしまうこと。超能力や悪の組織が登場しなくても、こんなふうにはらはらどきどきさせ
ることが出来るんですよ、とでも言っているよう。この作品には、どこにでもいるような悪がきとい
う形で悪意は登場します。図に乗った少年が犯しがちな些細なことだけれど、とても重要な「他人に
対する悪意」をそのままぽんと、私たちの目の前に描きだしてくれます。みごと。それに対する勝ち
かたもスマート。チャンスがあっても、仕返しに相手を陥れたり、みんなの前で恥じをかかせたりと
いった手段を選ばないのは、もうスマートとしか言えませんね。かっこいいというのは、運動が出来
たり、頭が良かったりそういうことではないんだ、と思わされる、まさに「優雅」でかっこいい子供
たちなのです。
「ノア、ナディア、イーサンは自分以外の人のなかにやさしさをみつけて、自分のなかでどうやさし
さをさがしたらいいのか、わかるようになっていきました。優雅とはなにか、みたことがなければわ
からないでしょう。悪いものしかなければ、良いものだとわからないでしょう。」
というシンさんの言葉のように、知っているつもりになっている事と、本当に理解しているしている
事を見分けるのは、結構努力がいるものなのです。自分が知らないことを知らないでいるって事、多
いのではないでしょうか?私もやさしさを、どうみつけたらよいのか修行をつまなくては。
それではまた。    

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児童文学を勝手に読む会 2001・1・17
白狐魔記「源平の風」/斉藤洋
 大雪?降りましたね。いやあ寒い寒い。わくわくしちゃいますね。みなさんそんなことないです
か?寒がり&冷え性のくせに冬が好きなのは、私だけじゃない筈。風邪と戦いながらがんばりましょ
う。ふとんや風呂はこの季節、極楽ですからねえ。
 さて本題。「ルドルフとイッパイアッテナ」でおなじみの斉藤洋/作の日本の歴史シリーズもの
「白狐魔記」の最初の巻「源平の風」。現在三巻目「洛中の火」まで刊行されています。まだ続く
ようですが?どうなることでしょうか。主人公はちょっと変わり者の狐、人間のことを知りたくて
人里近くでうろうろしているうちに、白駒山の仙人と出会っていろんな術が使えるようになる。だ
から名前は「白狐魔丸」。この狐を中心に、武士と出会い、世の中の流れを描いてゆく…というコ
ンセプトだったのでしょう。「源平の風」は白狐魔丸はまだまだ狐なままだし、人間にもうまく化
けられなかったり、人間との距離も遠いので、それなりに楽しめます。修行?というか、何かをが
んばって出来るようになる過程は読んでいて応援したくなりますし。時代が時代だし、戦乱の世の
中で武士を中心の物語りにしてるのだから、当然殺しあうシーンが出てきます。でも狐に、「武士
は人を殺すから嫌いだ」と言わせてしまうのはどうかと。全体として重く感じてしまうのは、歴史
の重さではなく、気分の暗さ。暗いからってマジメだということにはならないと思うのだけれど…?
武士が殺しあいを好きでやっていたわけでなく、仕方ない状況というのをもっと打ち出して欲しか
ったなあ。人を殺すのは好きじゃないけど、世の中が悪いから仕方ないんだよ。っていうのはぜん
ぜん潔くないと思うのだけど。読みやすくて、わくわくさせられるけれど、ちょっと残るものが少
ない感じ。しかし主人公の狐はとても素敵なキャラクターですけども。
 さて、検索していて驚いたのは斉藤洋さんの作品が137册もあったこと。プリントするのが大変
でした。この中には訳した本の数も入っているのだけれど、それにしてもすごい数。これを機に10
册くらいは読んだけれど、幼年ものが多く、言葉遊びを楽しむかんじの物が多いですね。「なん者ひ
なた丸」とか。名前というものに、すごく意味をこめたいと思っている人なのだなあ、というのが私
の印象。たまたまかも知れないけれど、どの話にもそういう名前の由来関連のエピソードが目立ちま
した。ま、私も変わった名前みるとわくわくしちゃうほうだけどさ。その幼年童話にはちりばめられ
ているユーモアというか、明るいつい笑っちゃう感じが、「白狐魔記」にないのは残念。長くて重く
なりがちな題材だからこそ、そういう要素が大切なのではないのでしょうか?
 来月は待ちに待った歴史もの脱出、大御所登場。「ティーパーティーの謎」/カニグズバーグ。私
の昨年ベストテン入りを(当然)果たした大好きな作品です。楽しみ楽しみ。
寒さのせいかこの頃人が少なくてさみしい。みなさん、いらしてくださいまし。

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