この頃読んだ本 2000

2000・12 二〇〇〇年に読んだ本
2000・10 先日の児童文学を勝手に読む
2000・8 夏休みあたりから、・・・
2000・7
今、データベースに挑戦・・・
2000・6
6月に読んだ本では・・・
2000・5
五月は旅行に出かけた。
2000・4
結構本は読んでいるのですが・・
2000・3
3月は、個人的な用件が・・・
2000・2 今月は電車に・・・
2000・1 年があけてすぐ・・・

現在にもどる→
もっと過去へ行く→


  二〇〇〇年に読んだ本

 この一年間で読んだ本は一八二冊になる。相変わらずファンタジー・児童文
学・ミステリーの順だろうか。後は社会学的なものが少しあるが、ノンフィク
ションなどはほとんどない。
 さて、ファンタジーで筆頭にあげるのはやはり『黄金の羅針盤ーライラの冒
険1』
フィリップ・プルマン/新潮社だろう。この世界と隣り合わせの世界の
少女ライラの冒険シリーズ。世界の違いのもっとも大きい点は、個性ある守護
霊の存在だろう。人と共に生きる守護霊、子ども時代は自由自在に姿を変える
ことができる、と言っても何らかの動物の姿なのだが、大人になると固定化さ
れる。召使いは犬、船乗りはカモメなどと職業的な色分けがされているのはイ
ギリス的で少し残念。が、息もつかせぬ冒険の連続に圧倒されてしまう。第2
『神秘の短剣』は全くおもむきを変え、主にこの世界と、ライラの世界との
間の世界が舞台。この世界の少年が偶然から世界を行き来できる窓を見つけ、
隣の世界で、父の後を追いかけてきたライラと出会う。そしてあらゆる世界を
含んだ世界は、最終末戦争へと突き進んでいくことになる。最後はどうなる
の?とやきもきしているが、第3部完結編は一〇月に発売され、一,二月には
日本でも発行される予定という。待ち遠しい。
 『ミッドナイトブルー』ポーリン・フィスクほるぷ出版も、隣り合わせの世
界へ旅する少女の話。この世界から逃げ出したくて、行った先に理想的な家族
がいた。ここにこの子と代わってしまいたい。最後の結末は大変だけど生きて
いく選択をした結果。
世界を席巻した感がある『ハリー・ポッターと賢者の石』J・K・ローリング
ス/静山社はあれだけの長い文章を飽きずに読ませるのだから面白いことは面
白いのだが、やはり深みにかける。ご都合主義的なストーリーで、取り柄のな
い虐げられた少年が血筋による才能に目覚める、とか、様々なアイテムがてん
こ盛り状態だが独創的なものは少ない。第二巻『ハリー・ポッターと秘密の部
屋』
は新鮮味にかける分、テンションが落ちたように感じられる。
 そういう意味で『レッドウォール伝説ー勇者の剣』ブライアン・ジェイクス
/徳間書店も同じ。伝統的アイテム、てんこ盛りで、冒険いっぱいだけど、今
ひとつ主人公の気持ちや成長が感じられない物足りなさが残った。同様の感が
ある『ローワンと魔法の地図』エミリー・ロッタ/あすなろ書房。これもオー
ストラリアではシリーズ化され、日本でも順次発行される予定だとか。男女の
性別を明確にしない描き方とか、村のありようも話題にされているけど、何よ
りも読みやすさが評価できると思う。もちろん喰い足りなさが残るが、わかり
やすさを求める今には合っている。
 ティーンズ文庫や新書サイズのノベルスでのライト・ファンタジーでは、ご
都合主義や主人公の血筋、隠された才能などはお約束のようだ。『スカーレッ
ト・ウィザード』
茅田砂胡/中央公論社などは、SF仕立てだが典型的。何も
考えずにリラックスしたい向きにはお勧めだけど、時間の無駄、と怒らないで
ね。『西の善き魔女』荻原規子・中央公論社もその系譜となる。今年は『外伝
1金の糸紡げば』『外伝2銀の鳥、プラチナの鳥』
が出た。この手のものは枚
数が決まっている。荻原規子は物語がどんどん広がっていくタイプだから、枚
数制限がなければ、もっと違う結末になっていたかもしれないと思いつつ、外
伝でどう展開させるのか、本編で残された疑問に答えるのかやはり注目してし
まう。
 ファンタジーと思っていたらSFだった『ファイナル・ジェンダーー神々の
翼にのって』
上下ジェイムス・アラン・ガードナー/早川書房。子どもは毎
年、交互に男と女になり、成人前に父と母の両方を経験した上で、どちらを選
択するかを決定する、という社会。主人公は今は男性形だが、最終選択の前夜
を迎えている。というところで事件が起こる。読みではある。『王国を継ぐ
者ーリフト・ウォーサーガ4』
レイモンド・E・フィースト/早川書房は、シ
リーズの中では軽いタッチで、ちょっと拍子抜け。『異教の女王ーアヴェロン
の歌1』
マリオン・ジマー・ブラッドリー/早川書房 は、アーサー王伝説を
魔女と呼ばれたモードの側から見た物語。しっかりした物語で、すでにキリス
ト教から異端視・敵視され始めたドルイド教からの物語ともなっている。
 ファンタジーに分類していいのかどうか『竜の年』ヨアンナ・ルドニャンス
カ/未知谷は、不思議な感触を残す物語。何かシュールな映像を見たような印
象が残る。同じように不思議な物語なのが『月の石』トールモー・ハウゲン/
WAVE出版。ストックホルムの少年と、どこかわからぬところの月の神殿。
もっとこの少女が描かれていたら、もっと重厚な物語になっただろうに、と少
し残念。
 『イスカンダルと伝説の庭園』ジョアン・マヌエル・ジズベルト/徳間書店
も、不思議な物語。芸術的な庭師が、王に依頼され世界一の庭園を築く依頼を
受ける。ところが王は…。長編ではないが余韻の残る作品。『ろばになったト
ム』
アン・ロレンス/徳間書店も昔話風の中編だが、読ませるものがある。傲
慢なトムは妖精の贈り物でろばになってしまう。『自分にあてた手紙ーかめの
ポシェのはなし』
フォローランス・セイヴォス/偕成社も中編ながらいい味。
一緒に暮らしていた亀が死んでしまい、悲しみのあまりポシェは自分に手紙を
書き始める。静かに沁みてくる。『光の国のタッシンダ』エリザベス・エンラ
イト/学研は、お話のパターンを踏襲したもの。『マツの木の王子』キャロ
ル・ジェイムス/フェリシモ出版も同様。古き良き時代の香りがして安心して
読める。
 『りかさん』梨木果歩/偕成社は、おばあちゃんからもらった古い人形との
交流を通して見える物語を描く。子どもの目から描くには重たい話もある。む
しろ女性の共感を呼ぶのではないだろうか。 守り人シリーズ第3弾『夢の守
り人』
上橋菜穂子/偕成社は、現実ではない夢の世界での話が続き、バルサの
小気味よい立ち回りが見られないのが残念。夢の世界をどう捉えるかで、評価
が分かれるだろう。私は結末の付け方がちょっと不満。
 さて、児童文学というかヤンクガダルトというか、きっちり描き込まれて良
かったのは『豚の死なない日』ロバート・ン・ペック/白水社自伝的作品なの
で時代は少し前。シェーカー教徒の厳しい父と少年の話。父が死ぬところまで
の本編、その後、父に代わって奮闘する姿を描いた『続・豚の死なない日』
文社。少年が家族の責任を負って一人前の人間として生きようとする姿に心打
たれる。
 『シュトルーデルを焼きながら』ジョアン・ロックリン/偕成社はおじい
ちゃんが死んだ後から始まる。いつもシュトルーデルを焼くときはお話をしな
がら。一族に伝わる物語が語り継がれていく。おじいちゃんが子どもの時、大
陸から来たまたいとこと、同じ話を知っていることでうち解けていく話がい
い。『かぜをつむぐ少年』ポール・フライシュマン/あすなろ書房は、少年の
成長物語、と言ってしまうとはみ出すものがある。事故で人を死なせてしまっ
たお詫びに、アメリカ大陸の4隅に風で動くおもちゃを取りつける旅に出るこ
とになった少年。置かれたものを見て、元気をもらう人々の話が入り、人生や
生きるとは何かを、感じさせてくれる。『ティー・パーティの謎』E・L・カ
ニグズバーグ/岩波書店は久々の新刊。語りが交互するけど、人の関わりが重
なっていく感じが面白かった。『猫の帰還』ロバート・ウェストール/徳間書
店は、しっかりした物語。猫の目から見た戦争。イギリスでは黒猫は幸運の
印、人が勝手に猫に想いを仮託する、その様が人生の悲哀を物語る。『穴』
イス・サッカー/講談社は、今、キャンプで苦労する少年と、ご先祖様とをコ
ミカルにでもしっかり風刺を効かせて語る。読みやすいが侮れない作品。
 スポ根ドラマ風の『DAVE!@』森絵都/理論社。今の子に手渡る物、と
いう追求なのか、エンターテイメントとしては面白い。むしろ荻原規子のよう
にティーンズ文庫に進出した方が売れたのではないか。『バッテリーV』あさ
のあつこ/教育画劇は相変わらずの硬質感で読ませる。『ビート・キッズU』
風野潮/講談社はやはりエネルギーが少し落ちた。それよりイラストにがっく
り。やはりティーンズ文庫のノリ。仕方ないか。
 ミステリーではあまり収穫がない。『出走』ディック・フランシス/早川書
房。続きがまたれる『高く孤独な道を行け』ドン・ウィンズロウ/東京創元
社。『新生の町』S・J・ローザン/東京創元社。『災いの小道』キャロリ
ン・G・ハート/早川書房。『神の火』高村薫/新潮社などおなじみが並ぶ。
 その他では『心を殺された私ーレイプトラウマを克服して』緑河実沙/河出
書房新社が、圧倒的な迫力で迫ってくる。『市民科学者として生きる』高木仁
三郎/岩波書店は亡くなった今、また読み返したいと思う。『グレイのしっ
ぽ』
伊勢英子/理論社は作者の心情に触れしみじみしてしまう。『東大で上野
千鶴子にケンカを学ぶ』
遥洋子/筑摩書房は、コミカルな読みやすさの中に、
お勉強したフェミニズムを要約して見せてくれる。『性の倫理学』伏見憲明/
朝日新聞社は雑誌での対談のまとめ。今性に対しての言説がまとめられていて
わかりやすい。

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このごろ読んだ本 2000・10
 先日の児童文学を勝手に読む会に来てくれた人が、「みんな厳しいんだね」と
後でもらしていたという。確かに批判的な言質が多くなるのは事実だ。以前、参
加者がみんな面白かった、と言ったときがあったが、話はそれで終わりになって
しまった。この子可愛いよね、などと登場人物にミーハーする以外にほめまくり
で話を盛り上げるってしにくい。やっぱり批判的にこうだああだと言うから話が
面白くなり盛り上がる気がする。それよりもっと面白いのは、批判的な人と肯定
的な人、違う意見の人がいることで、新たな視点を発見できたりする。雰囲気に
流されるときと反発する時とで、立場が変わったりもする。要は、本を読んだと
きに感じたものを言葉にして伝え合おうよ、というのが会の趣旨だから、話すこ
とでその本をもっと楽しめればいいのだと思っている。
 でも、心の底から面白い、誰がなんと言っても好き!と叫べる作品にどれくら
い出会っているだろうか。子供の頃に好きだった作品は、無批判に好きなことが
多い。その世界で無心に遊べたからかもしれない。大人になって読み返して、他
愛のなさにがっくりすることがあっても、好きだった記憶はなくならない。しか
し、大人になってから出会った作品は、諸手を上げてという訳にはいかなくなる。
子どもの本を批評する難しさがここにある。批評すると言う立場から言えば、子
どもが面白がるからといって無条件にほめるわけにもいかないのだ。それが尺度
のすべてとは言えないから。
 前にも言ったが、今はわかりやすいものが受ける傾向にある。それって実は
「感じたことを言葉化する」ことと関係しているような気がする。自分の実感を
言葉化することが少なければ、記号のように流布している単語に頼るしかない。
たとえば「キレル」「むかつく」のように。取り込むものも同様に記号のような
わかりやすい単語になっていく。言葉にされた表面のその奥にあるものを察知す
ることには思いも及ばない。これは単純にトレーニングの問題だと思う。経験が
あるか否かの問題。そういう意味でも、本を読むこと、物語を楽しむことは重要
だと思う。言葉を取り込み、多様な意味からイメージを立ち上がらせる面白さ。
さらにそこで感じたことを語り合い、共感したり整理する場があることも重要な
のだと思う。
 と前振りが長くなってしまった。今月は一四冊も読んでいながら、これ!と言
える本がないのだ。ひょっとすると、わたし自身の楽しもうとする感度が鈍って
いるのかもしれない。
 『ローワンと魔法の地図』(エミリー・ロッダ あすなろ書房)は、表紙か
ら感じるような重厚な物語ではない。ちょっとあっけない感じがして拍子抜けし
てしまったが、対象年齢一〇歳と考えれば納得する。『黒猫サンゴロウ』(竹下
文子 偕成社)や『お江戸の百太郎』(那須正幹 理論社)あるいは『ルドルフ
とイッパイアッテナ』(斉藤洋 講談社)と並べれば、読み応えありのおすすめ
作品。オーストラリアではシリーズ化して第四巻まで出ているそう。
 『魔女の宅急便その3ーキキともうひとりの魔女』(角野栄子 福音館書
店)は16歳になったキキの前に自分勝手な少女が現れ、あれこれ引っかき回さ
れると言う話。1巻目にあった弾むような気分はない。落ち込み加減のキキの気
分を映し、謎を残したまま少女が立ち去ったあともすっきりはしない。いや、こ
れはわたしの気分の反映なのか。作者はまだまだ書き続けていくつもりのようだ
けど、くすくす笑えたり、爽快な気分になれるシーンがもっと欲しい。
 『出走』(ディック・フランシス 早川書房)。昨年翻訳された短編集。ヒー
ローはいないけれど、ちょっと皮相に人生を垣間見せてくれるものばかり。だか
らといって皮肉っぽい訳ではなく、人を本質で、隠された感情とともに捉えよう
としている。うまい作家だと思う。
 『災いの小道』(キャロリン・G・ハート ハヤカワ)。六〇歳すぎの元ジャー
ナリストで、今は大学でジャーナリズムを教えるヘンリー・Oが探偵のシリーズ
第三作。学生が首を突っ込んだため過去の未解決の事件の謎を一気に三つも解こ
うとする。落ち着いた味わいが好き。
『アウトローのO』(スー・グラフトン 早川書房)も、過去の謎を扱う。こ
ちらはベトナム戦争の影が覆う。はじめて時代設定を明確にしたのは、それとの
関係と、ここ数年のパソコン・携帯の普及との関係とか。Zまでにはメモ派のキ
ンジーもネット利用者になっているか?

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このごろ読んだ本 2000・8
 夏休みあたりから、毎日1冊のペースで読んでいます。暑くて眠れないの
で、寝床で読んでいるとやめられなくなってしまうのです。時には意地になっ
て読み上げようとして、よけい睡眠不足です。
 そのなかで、『イスカンダルと伝説の庭園』(ジョアン・マヌエル・ジズベ
ルト 徳間書店)は、前評判に違わずいい物語でした。子どもの出来ない王
が、自分の名を残したくて、大庭園を計画。天才的庭師のイスカンダルを探し
出し、庭園造成を命じます。そして…。どんな状況であっても、精神の自由を
確保する、それが人間として生きるすべなんだろうなあと思うのでした。長編
ではなくても、じっくりと語る物語はやはり余韻を残します。ただ、なぜかこ
の本が三鷹市の図書館に入っていませんでした。最近の選書には疑問が残る点
が他にも…。どうしちゃったのでしょう?
 岩波少年文庫の新装に伴って出されたE・L・カニグズバーグの新刊
『ティーパーティの謎』も面白かったです。語り手がくるくる変わるなどして
初めはわかりにくい面もあるのですが、物語に引き込む力はすごいです。ま
た、軽い口調の中に、今の子ども達の状況の一端が映し出されています。おな
じカニグズバーグ著で絶版になっていた『エリコの丘』も七月に少年文庫で出
版されたのでうれしいです。
 『空へつづく神話』(富安陽子 偕成社)は、わかりやすく読みやすい物語
です。名は体を表すということと、地名を変更することとの絡みを、もう少し
そこで生きる人々との思いと結びつけるような展開があってもいいかもしれな
い。そんな物足りなさを少し覚えつつ、「西東京市」なんて味のない名前に変
更しようとしている人たちに読ませたい等と考えたりもしました。
 『ウィーツィ・バット』(フランシス・レア・ブロック 創元社)は翻訳の
金原瑞人さんが興奮するような衝撃をわたしは感じませんでした。それって、
わたしの感性がずれてきていると言うことでしょうか?カルフォルニアの若者
達に受けたというのは、肯ける気がします。ストレートすぎるくらいわかりや
すいのです。現在のティーンが主人公のおとぎ話。テーマは愛。跳んでる彼ら
の風俗を写しても、目新しさはそれだけ。ちょっと質のいいティーンズ文庫を
読んでいるような気がしました。『葉っぱのフレディ』といい、『ハリー・
ポッター』
といい、今はわかりやすいストレートな表現が求められているのだ
なあ、と実感。
 この実感をさらに補強したのが『永遠の仔』上下(天童荒太 幻冬舎)。こ
れも、分かりやすい話。児童虐待の様々な様相が描かれるが、その理由、因果
関係などが明白。独白で語られていたりすると、こんなに簡単に言語化できる
のかと私はしらけた気分になります。ミステリー仕立てで次はどうなるのか
と、読まされましたけどね。ラストは、かすかな希望に救いはあるが、気持ち
は釈然としないといったところでしょうか。
 『新生の町』(S・J・ローザン 東京創元社)はミステリーとしてと同時
に、やはり二人の主人公の恋愛物語になってきました。民族・文化の違いが二
人を隔てる、という構図が明確になります。今回はリディア・チンが主人公
で、中国人社会の話ですが、そこにも家族と愛情との綱引きがあります。なか
なか読ませてくれました。
 『密室から子どもを救済せよ』(尾木直樹・三沢直子 学陽書房)は、二人
の対談と書き下ろしとがテーマごとに語られています。印象的だったのは、九
〇年代になってはっきり乳幼児の子育てが変わり、九七年にその子達が小学校
に入学したとき、学級が成り立たないような事態が全国で起こった、というこ
とです。それは、高度経済成長へ向けて産業界の要請により一九六七年に出さ
れた「期待される人間像」によって教育された子ども達が親になった結果なの
です。今の小学生の親である三〇代は、管理と校内暴力と受験戦争のただ中で
の学校生活と、父親不在の関係の薄い家庭で育ちました。親自身の関係性をも
膣からの弱さがその子ども達に現れているのです。などなど日頃私が思ってい
るようなことを、アンケートや描画調査によって実証しつつ語っています。解
決には開いた環境で仲間関係をもっていくこととは、著者達以外の何人もが
言っていること。どうしたら現実にそれが可能になるのだろうか?


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このごろ読んだ本 2000・7

今、データベースに挑戦しようとしている。わたしの持っているソフトは
「ロータス・アプリケーション2000」で、このマニュアルがなかなかを
売っていない。仕方がないので『データベースちょ〜入門』(栗林誠也 光文
社)という本を買ってきた。非常にわかりやすい言葉で書いてある。基本がわ
かって良い、と思って読んでいるはずなのに、なぜか眠くなる。そんなこんな
で中旬はこの本にかかりきりになり、ほかの本が読めなかった。
 その反動からか後半はとばして読んだので、読了冊数はいつもと同じくら
い。
 で、面白かったのはなんといっても『神秘の探検』ライラの冒険U(フィ
リップ・プルマン 新潮社)。我々が生きている世界からスペクターが大人を
襲う世界に入った少年と、人には全て守護霊がいる世界から来たライラ。世界
は数百以上もあり、その世界全てを賭けた、2大勢力の戦争が今まさに始まろ
うとしている。物語はさらに壮大になり、第3巻へと続く。人が必要以上に死
にすぎる気がするが、戦争への途上、やむをえないというところだろうか。こ
の物語自体の最終的な判断は、やはり最終巻が出てから、ということになりそ
う。第1巻の方が出来は秀逸だったと思う。
 『夢の守り人』(上橋菜穂子 偕成社)はシリーズ第3巻。それぞれが読み
切りで、それなりに読ませる。今回は女剣士のバルサではなく、療法士のタン
ダとその師匠に焦点が当たる。というより、あれこれいろいろあって焦点が拡
散してしまった感じ。でも、テーマは先が見えてしまった人生をどうするか、
というようなもの。今時の子どもたちには実感として肯けるものかもしれな
い。少女が結婚が決まり、この先もずっとこうして生活のためにあくせく働
き、毎日が同じように過ぎていくのだろう、そう思った心の隙を、夢の花にす
くい取られていく。結局は自分の人生をどう引き受けていくか、ということで
もある。そのあたり、変に落ちつかせすぎないところが、この作家の良さかな
と思う。
 古本屋でずいぶん前に手に入れていたのに、ようやく読んだのが恐竜惑星シ
リーズ『アイリータ調査隊』『アイリータの生存者』(アン・マキャフリー 
東京創元社)。マキャフリーのアイデアには脱帽。若い二人が調査隊長になっ
た惑星アイリータには、古代地球の生物・恐竜がいた。岩のようなセク(星
人)はオーストラリアの岩の精霊ナルガンを連想させたけど、後半に姿を現し
たら全然違っていた。「心身制御」とか「冷凍睡眠」とか、随所に独特のアイ
デアがあって楽しめる。もっとも、お決まり赤い糸的恋愛は今回にはないので
読みやすい人と、物足りない人といるかもしれない。書かれたのはずいぶん前
で、だれかとの共作で第3巻が出るはずと書いてあったけど、翻訳されていな
い。これに限らずシリーズ途中で翻訳が中断されるって、腹が立つけど、そん
なに売れないということなのか、結構あるのが残念。
 『小さなソフィーとのっぽのパタパタ』(エルス・ペルフロム 徳間書店)
は、ちょっと不思議な味わいの作品。実はこういう寓話的作品はわたしはあま
り得意ではない。でも、この手の作品が好き、という人もいる事は知ってい
る。これはわりと緻密に作られた物語で、ナンセンスもあり、作品としては良
くできていると思う。
 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(遥洋子 筑摩書房)も、面白くて一
気読みしてしまった。タレントの遥さんが、東大の上野ゼミの学生になった。
そこで感じたギャップやショックを、エッセイ風にまとめたもの。前半は彼女
が切り取る芸能界と東大生の生態と、上野千鶴子の描写に笑い転げてしまう。
後半は3年間の勉強の積み重ねをふまえて、面白ろ可笑しくではあるが、フェ
ミニズムの神髄に迫ろうとしていく。文献引用が結構あっても、読まされてし
まうところがなかなか。

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このごろ読んだ本 2000・6

 6月に読んだ本では、これというものが少ないのです。が、その中でダントツなのはやはり『バ
ッテリー。』(あさのあつこ 教育面劇)
でしょう。ぐいぐい引っ張られて読んでしまいました。
でも、前2作ほどは緊張感が高くはありません。主人公の巧は、相変わらず孤高の人、野球・投
球への内に秘めた思いを一人でぎりぎり噛みしめています。しかし今回は彼から離れた視点、バッ
テリーの相棒の豪などの視点で語られることが多くなりました。緊張感が薄れた分、様々な人のそ
れぞれの人生へ思いを馳せる幅の広い作品に仕上がっているようです。
 前回のいじめ・集団リンチから野球部監督の教師のけがに発展した事件を、なんとか丸く収めて
みても、野球部は活動停止。夏の大会の地区予選も出場できず、野球が出来ない状態が続きます。
そんな中で、巧の焦燥感は高まります。ですが夏休みが過ぎようやく開始された部活での紅白試
合。野球への熱い思いを持つのは自分だけではないことに気づいていくのです。だから今回のテー
マは、野球への思い、といえるでしょう。巧だけではなく、全体を見回し相手を思いやる豪の中に
ある思い、リンチされた恐怖と同時に野球への情熱に気づく沢田、中学最後の夏大会を断念させら
れたキャプテンの海音寺、肩を痛めてマネージャーに転身した2年で元キャッチャーの野村。それ
ぞれに人生があることを思わせる描き方です。
 ここでは、野球への思い、となりますが、自分を賭けられる何者かへの思いを描いた作品はたく
さんあります。スポーツの場合、競技者の視点で語られるその思いに私はいつも魅せられます。巧
がマウンドに立って、真夏のじりじりと炊け付くような日差しを感じる時、そしてミットを見つめ
投げ込んだ球が、スパーンと収まる音を聞いた時、感じるもの、彼はそれを求めて野球をするので
す。
 それは『ぼくらのサイテーの夏休み』(笹生陽子 講談社)で、主人公がバスケットを思うとき
にあるもの。『800』(川島誠 マガジンハウス)で、陸上のトラックで捉えられるもの。『アン
モナイトの布』(バーリー・ドハティ 新潮社)で、飛び込みに感じるもの。スポーツに才能を持
たない私は、彼らが求めてやまないものを感じられる作品はその記述だけで許せてしまうのでした。
 『バッテリー。』でのもう一つのテーマは関係性、信頼する、ということです。孤高を保つとは
いえ、野球は一人では出来ません。巧の他の部員や母親との関係、豪の他者との関わり方、弟の青
波のあり方をみせて考えさせてくれます。クライマックスは、巧と豪との関係。全力投球を受け損
ねた豪に、巧は一瞬の不安を感じ、次の投球に現れます。豪は裏切り、とそれを激しく非難するの
です。緊張をはらんだまま、隣町の強豪校と試合に臨むところで物語は終わります。スポ根漫画の
様相ですが、やはり次作が気になってしまうあたり、しっかり乗せられているようです。

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このごろ読んだ本 2000・5

  五月は旅行に出かけた。長時間乗り物に乗ってはいても、本を読めそうで読めないもの。で
も、万一眠れなかったら、そして読むものがなかったらと考えるとやっぱり不安で、文庫の推理
小説を二冊も買って持っていった。結局は夜は疲れてすぐ眠ってしまい、往復の飛行機で軽くて
短い方を読み終わっただけだった。
 さて、それで読んだ『被害者を探せ!』(パット・マガー 創元推理文庫)は、軽いけど楽
しめた一冊だった。一九四四年、アリューシャン列島に派遣されている米軍海兵隊のもとに、
小包が。詰め物にされていた新聞記事に部隊の一員の元勤務先で殺人事件があったことが書か
れていたが、被害者の名前はちぎれてわからない。そこで、と回想しつつ語られる物語。
 読み終わらなかった方は『眠れる森の惨劇』(ルース・レンデル 角川文庫)。ウェクスフー
ド警部シリーズの久方ぶりの新刊だと思う。部下の刑事が銀行強盗に巻き込まれて死亡。その十
ケ月後に荘園と呼びたくなるような古い館で強盗殺人が発生。若い女性だけが生き残る。
警部自身の娘との葛藤を折り込みながら話は展開する。警部が気づいたあたりで私も薄々と犯人
の見当がついたので最後の謎解きはあっと言うものではなかったが、ラストシーンは印象的。じっ
くりと楽しめた。
 『豚の死なない日』(ロバート・N・ペック 白水社)は、一時代前のアメリカの話。少年が
大人になる、というかならざるを得ない日、それは不妊のため可愛がつていた豚を殺した日。そ
して豚の屠殺職人の父の死を悼んで、職場の人たちが集まつてくれた日。成長物語というより、
父への賛歌と言うべき物語。味わい深い、古き良き時代の香りがする話だった。
 圧巻だったのは『黄金の羅針盤−ライラの冒険シリーズ1』(フィリップ・プルマン 新潮
社)。前評判通りの読み応え。ファンタジーとはいえパラレルワールドもの、とでもいうのだろ
うか。地理約な配置や歴史的なある部分は同じだけど、決定的に違う部分を持つ異世界が舞台。
この世界では、人は皆、ダイモン(守護精霊)を持っている。電気はあるけど、自動車や飛行機
はない。魔女がいて、北極地方には話をするクマ、鎧を着たクマの国がある。主人公の少女ライ
ラが特別な運命を持ち、知らないまま使命を果たさなければならないことは、物語の初めの方で
読者には明かされている。だからといって、ライラの冒険にワクワクしないわけではない。また、
ダイモンの存往の特異性がこの物語では人きな位置を占めている。子どものダイモンは変幻自在、
どんな動物の姿にもなれるし想像上のものでも可能。大人になるとその姿は特定の動物に固定さ
れる。それはその人の本質を現しているという。ダイモン同士の優劣で、個人の力関係が決まっ
たりもする。ある人そのものや、人と人との関係を表すのに非常にユニークで面白い発想だと思
う。たっぷり楽しめるのだが、これは第一巻。え〜、このさきどうなるの?というところで終わっ
ているのだ。まったくう…。早く続きが読みたいよ〜。
 同じようなパラレルワールドものといえるのが『ミッドナイト・ブルー』(ポーリン・フィス
ク ほるぷ社)。でもこれは、現実のこの世界から逃げ出してあちらの世界に行くという、行き
て帰りし物語。当然のように主人公の少女の成長物語。読み進めているうちに、私は以前に読ん
でいるのかもしれない、という気持ちになった。でもラストシーンは明らかに記憶にないので、
読み切ってはいないはず。途中で放棄したのか、それともあまりにイギリス・ファンタジーのイ
メージを安易に使っているせいなのか?
 『ロバになったトム』(アン・ロレンス 徳間書店)は、中世を舞台にした昔話風の物語。
妖精の贈り物のせいで、ロバになってしまったトムと一緒に旅をするジェニファー。二人は無一
文から、初めにトムが夢想していたようなロンドンでもひとかどの存在になっていく。やさしく
読みやすい文章でいて、深みのある作品。
 『穴』(ルイス・サッカー 講談社)は、作品紹介を見て、なんだか重い物語だな、と思って
敬遠していたのだが、ついにプ−の森の「勝手に読む会」でも取りあげることになったので、意
を決して読んだ。拍子抜けするほど面白かった。ユーモアと風刺たっぷりのナンセンス・ストー
リー。しかも、しっかり最初の伏線が張られていて、計算された作りで最後は落ち着くところに
落ち着く、なかなかの出来だった。
 少し前に読んでいたが触れそびれていたのが『闘う守護天使』(リサ・コディ ハヤカワ・ミ
ステリ)。女子プロレス界から抛擲されアル中になった彼女がどうリターンするか。常に酔っぱ
らった状態なので独白が今まで以上に読みにくい。リターンしそうな次作に期待。

 
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このごろ読んだ本 2000・4

 結構本は読んでいるのですが、「これ!」というのは少ないような。そこそこ面白かつた、とい
うものならあるのですが。
 そんな中で、噂に違わずそれなりに面白かったのは『少女神第9号』(フランチェスカ・リア・
ブロック 理論杜)でした。アメリカ西海岸に暮らす十代後半の少女たちの今を描く、という宣伝
通り。日本で言うとヒリヒリ系でしょうか。短編集なので、十二歳から十七歳までの様々な少女た
ちが登場します。親との関係、親友との関係、恋人や自分を受け入れてくれる人との関係。スター
に恋こがれる様子やドラッグやセックスなどもふんだんにでてきます。今風な風俗をちりばめた奇
妙な外見にも関わらず、気持ちはストレートに伝わってくる話ばかりです。きっとそこが受ける原
因なのでしょう。せつなく、でも愛されている実感がどこかにある、そんな結末が多いのも安心で
きます。ただ、活字の色が、大人には読みにくい。この人の出世作『ウィーツィ・バット』(東京
創元社)も読んでみたい、と思ってしまいました。
 やはり一つの世界を持って引きつけるのは『猫の帰還』(ロバート・ウェストール 徳間書店)。
戦争中出征してしまった主人を追って、黒猫が旅をするのだけれど、行く先々で黒猫は幸運を運ぶ
と、可愛がられるのです。まるで短編集のようにそこにはそれぞれのドラマがあり、戦争でゆがん
でいく人生を描き出してみせます。ですが、救いのない状態ではないのがさすがです。
 先月も少しふれた『神の火』(高村薫 新潮社)は、やはり印ない結末でした。ああなるしかな
いのだろうけど、玉砕というか、先のない終わり方はやはりつらい。これも昔の作品だから、今は
何を書いているのでしょうか。阪神大震災に、彼女は遭遇して、今までのような作品はもう書かな
いとインタビューに答えていたように記憶しているのです。新作はまだ出ていないように思うのだ
けれど、どこかで連載しているのでしょうか。
 『グレイのしっぽ』(いせひでこ 理論社)は、愛犬の闘病と死を描いたエッセイ集。やはり
せつなさが漂うのですが、最後はそれを突き抜けた透明感があります。ラスト近く、阪神大震災を
被災者を応援して三〇〇〇人(?)がチェロを弾くコンサートに参加する話がありました。そのよ
うなイベントの存存すら知らなかった私は、とても残念でした。このコンサートに行きたかった。
いせさんの書いたポスターを見たかった、と。そして彼女の個展を見に行きたいとずっと願ってい
るのですが、いまだかないません。情報を知っている方、是非教えてください。
 梨木香歩の『りかさん』(偕成社)、『からくりからくさ』(新潮社)は、それなりの出来でし
た。古い市松人形のりかさんがようこの元に来る子供時代の話が前者。大人になった容子が、三人
の女性たちと共同生活をする話が後者。だから、前者は児童書で後者は一般書で出ています。作品
的には『りかさん』の方が好きです。祖母との関係もあり、それなりに落ち着く話になってます。
 たつみや章の古代を舞台にした新シリーズ『月神の統べる森で』『地の掟月のまなざし』
(講談社)は今ひとつ食い足りない感じでした。狩猟採集をべ−スにし月と崇める民と、稲作で太
陽を崇める民の出会いと葛藤を、それぞれの民の中心となるであろう少年たちに重ねあわせて描く
物語。なのですが人物造形が今ひとつ浅く感じられ、どうしてもライト・ファンタジー(ティーン
ズノベルスの類)という感じです。著者が軽く明るいのりで書いたわけではないし、物語世界をしっ
かり構築しようという意気込みは感じられるのですが。
 『ファイナル・ジェンダー神々の翼に乗って』上下(ジェイムス・アランガーナー 早川書房)
は、ファンタジーだと思って読み出したのに、絵局SFでした。その村の人々は、二〇歳で最終性を
選択をするまで、毎年性が変わります。だから逆に性別役割分業や男女の規範が厳しく分かれてい
るのです。こういう実験的試みがどう展開するのか、という興味にはちょっと肩すかし気味でした。
ま、主人公が男性でその視点で描かれていたので、入りきれなかったせいかもしれませんね。
 『誓いのとき』(マーセデス・ラッキー 東京創元社)は、シリーズ第三巻、とはいえ、短編集
で後日談を含む別巻のようなもの。この人はこの壮大な世界の物語をたくさん書いているのですが、
翻訳されたものはわずか。もつと読みたいよう!
 『セクハラ神話はもういらない−秋田セクシュアルハラスメント裁判女たちのチャレンジ』
(秋田セクシュアルハラスメント裁判Aさんを支える会縞 教育史料出版会)は、一審の不当な判決
を覆した裁判の記録。実は私がずっと関わってきたもので、中の一節を書いてもいます。中身がぎっ
しり詰まった読み応えあるもの、と自画自賛。この分野に興味のある方は読んでみてください。

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この頃読んだ本
 3月は、個人的な用件が重なり、ばたばたしていたせいか読んだ本が少ない。記録し忘れたもの
もあるかもしれない、という有様。そんな中で印象的だったのは「市民科学者として生きる」(高
木仁三郎 岩波書店)。著者は原子力資料情報室の元代表。国際的な賞(名称を失念した)を受賞
し、今はがんと共存する状態でいる彼が、病院のペットで下書きしたいわば自伝。
子ども時代から今も変わらぬ性格に「考える前に動き、走りながら考える」というのがあるという。
組織の中にいられない性格、三里塚の農民との出会い、宮沢資治からの影響、様々なことが市民で
あり科学者であるという自分を形成してきた、とする。直観的に動いてきたものを積み重ねて今が
あると肯定している態度に感銘。初期からかかわってきた研究テーマ、プルトニウムについての国
際的研究をまとめ(これが受賞のきっかけとなった)、念願の高木学絞の開設、その直後のがん手
術と再発。そういう時点での振り返りなのになんだかとても前向きで明るい雰囲気が漂う。「あき
らめから希望へ」という対談集を以前出しているが、それが自分の姿勢だという。「理想主義の楽
天家」なのだと。原発が五二基もあり、細かい事故は始終ある中、臨海事故まで起こってしまうよ
うな日本。絶望しかねない状祝だけれど、だからこそ、それを希望にかえて動いていきたいという。
その姿勢に共感。
 私も、自分一人で何ができる?と思うことも多いけれど、それで何もしなかったら、もっと加速
度的に嫌な方向に(私にとって)引っ張られてしまうような気がするから、ささやかながら、踏み
とどまりたいと願っている。確かに十年前言っていたのと同じ事を繰り返し言っている、とがっく
りするような時もあるけれど、それでも一部の空気が変わっていると思う。私もどこか理想主義の
楽天家の素質がある。もっともそうでなければ、現状をより良く変えていこうとする市民運動など
に関わり続けてはいられないだろう。
 今の、特に若い人の中にある種の絶望とあきらめが巣くっているように感じる。と、これは別の
人の雑誌記事で読んだものだが、私もそれを感じる。どうしてそうなのかというと、やはり個性を
つぶす組織・教育のせいだと私は思う。だからこそ、出会う人には、希望を持ちあえるよう接した
いと願っているのだけれど。
 実は同時平行して「神の火」(高村薫 新潮社)を読んでいる。これもテーマは原子力。原発開
発の研究者だった主人公は、同時にロシアなどに情報を売るスパイだった。すでに足を洗ったつも
りだが、否応なくまた巻き込まれていく。ひとりの研究者・料学者の姿勢、生き方と見た場合、物
語の状況が本当ではなくとも、その空気だけは推測できるようで、高木さんの本がよけいリアルに
感じられた。「神の火」は残念ながら読了していないが、少し前の作品で硬質な空気は相変わらずだ。
 さて、日本の原子力の状況ということで、この前後相次いで読んだのが二冊のブックレット。
「恐縮の臨海事故」(原子力資料情報室 岩波書店)と「藤田祐幸さん講演録*東海村であの日、
何が起こったのか』
(中垣たか子・水野スウ 縞集 発行)。読めば読むほど恐ろしいことが起こ
ったのだと実感。とくに「東梅村〜」の方で、藤田さんは国のいう危機管理は住民にパニックを起
こさせないための戒厳令だ、という。情報をちゃんと出さずに、閉じ込めたり、決めた場所に集め
るだけ。住民の安全というものを考えていない。しかもあの時、屋内退避といわれたが、その地域
から逃げ出す人がいなかった。そのこと自体が恐ろしいことだ。住民も鵜呑みにして言われたこと
だけやっている。結果的には大量に中性子を浴びたことになってしまった、と。
 以前、テレビでアメリカの危機管理システムの取材放送をしていた。超大型ハリケーンの上陸に
そなえ、避難勧告を出す。人々は車に家財道具を積んで逃げた。身を寄せる所のない人々には安全
な地域にトレーラーハウスが何台も用意されていた。今回の北海道・有珠山の噴火は数日前に予測
されていた。あんな町内の体育館ではなく、安全でちゃんと荷物も含めて避難できる場所くらい用
意できないものかと思ってしまう。
 また、アメリカでは全権委任されたチームが現地に派遣され、行政や軍の枠を超えて指揮権を発
動させていた。東海村では、JOCが五〇〇m以内の住民の避難を勧告したのに、実際は三五〇m
の範囲になったのは、そうしないと隣村まで範囲に入り、対処できないからだ。そんな縦割り行政
の弊害で、危険にさらされたのは住民なのだ。と本の話題からずれてしまった。とりあえず高木さ
んの本はお勧め。

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この頃読んだ本 2000・2

 今月は電車に乗ることが多く、本を読む時間も多い。それに、寒いので毎晩のように腰湯をして
いるが、それも読書タイム。そんなこんなで今月は一六冊を読破。ただし軽いものも結構多い。
 一番印象的だったのは「月の石」(トールモー・ハウゲン WAVE出版)。あの「夜の鳥」など
の著者による大人向けファンタジー(?)。ストックホルムとモンゴルのどこかにある、「月の宮
(神殿)」周辺を舞台に、月の石を巡る騒動を、曽祖母とその孫の男、その妻、この二人の息子で
ある少年、さらに「月の宮」の巫女と誘拐された神官、それぞれの立場から同時進行で描く物語。
視点があちこちに飛ぶのでちょっとわかりにくいでも神官が語る月の石の伝説は魅力的。「月の宮」
は閉じられた空間で神秘的な月の力が現われる世界。ここの描写も好き。後半はあまり登場しない
のが残念。月の力は曾祖母と少年のそれぞれの前にも立ち現れる。そして現実の街の男と女、つま
り父と母の話は二流のミステリ風で今一つ‥ただ二人が非常に孤立していて不信感だらけという雰
囲気はよく伝わってくる。だから少年は放置されている。その冷え冷えした感じもわかる。大人た
ちは自分のことで手一杯で、子どもは自分なりに、どう生き延びるか、というのがハウゲンの一貫
したテーマなのだというのがよくわかった。
 「マツの木の王子」(キャロル・ジェイムス・フェリシモ出版)は復刊本。赤木かん子さんが、
本の探偵依頼の多い作品と紹介していた本の一冊。フェリシモは通販会社だが、雑誌にかん子さん
が連載している関係からか、復刊を主とした出版を始めたらしい。この本も昔懐かしい素朴な味わ
い。周囲にどんなに阻まれても一緒にいようとするマツの木の王子とシラカバの娘。純愛物と言え
るかもしれないが、ゆったりとして靖子で柔らかな世界を紡ぎ出している。素朴な味わいといえば
「はじめてのクリスマス・ツリー」(エレナー・エスティス」岩波書店)もそうだった。季節外れ
だがようやく読んだ。数年前に出版されたが、原作は一九七三年。少女の家ではクリスマスツリー
を飾らない。宗教的なものではなく、母がNOと言う。皆と同じようにするのは嫌だ、という理由だ。
しかし、物語の後半たぶんこれが理由というエピソードが語られる。が、そのことより少女自身の
アイデアでクリスマスを飾り、本人のカで乗り越える様を描く。人の力を信じている作品といえよう。
 これも素朴な幼年童話「チャールズのおはなし」(ルーズ・エインズワース 福音館書店)。幼
児の可愛らしさが滲み出ている。等身大のお話、小さい人と一緒に楽しんでほしい。
 「竜の年」(アレナ・ルドニャンスカ 未知谷)は、東欧の作品。それなりの深みはあるし、そ
の土地の空気を感じられる描写もある。しかし、思っていたよりあっけなかった。毎晩竜に変身す
る父。それに対決しようと祖母の力を引き出す娘。本当の葛藤は祖母と娘の間にあり、この娘はあ
くまで「父の娘」、父との真の対決はなされない。だからあんなラストになり、私は今ひとつ満足
できなかったのだろうと思う。
 父との関係を描いたのは「マリーを守りながら」(ケヴィン・ヘンクス 徳間書店)もそうだ。
画家の父の気分を最優先する家庭。せっかくもらった子犬もよそにやられてしまう。この本の紹介
を見た時はもっと自分勝手な父を想像していたが、ここに描かれている父は非常に娘を可愛がり、
娘と対話しよう、つながろうと努力する父だ。ただ絵を描ける環境を求め、今はスランプに陥って
いるだけ。親が仕事できる環境を維持するのはどんな家庭にでも要求されること。主人公は愛され
ているがゆえに、その落差を埋め切れない。そんな印象を持つ。だからこそ今の子どもたちにこの
少女の乗り地え方は参考になるかもしれない。愛している、お前のことを思って、と言いつつ、意
識に子どもを押し潰す親は多いのだから。
 「レッドウォール伝説 勇者の剣」(ブライアン・ジェイムス 徳間書店)。この分厚い本をよ
うやく読んだ。私には主人公のねずみの修道士マサイアスが今ひとつ魅力的に見えない。むしろ穴
ぐまのコンスタンスや敵のドブネズミのグルーニーなどの方が個性豊かで面白い。ご都合主義的な
展開も多いけど、割り切れば十分楽しめる。
 児童文学ばかりなので最後に実用書(?)を一冊。「サバイバーズハンドブックー性暴力被害回
復への手がかり」
(性暴力を許さない女の会 新水社)。強かんにあった時、セクシュアルハラス
メントにあった時、どうしたらいいか、何ができるか、が具体的に書かれている。被害にあった本
人だけではなく、身近な人あるいはサポートしようとしている人にもお勧め。

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このごろ読んだ本 2000年1月

 年が明けてすぐ、読みかけの本を3冊はど続み上げた。ようやくペースが戻ってきた感じ。じっ
くり本を読む時間はなかなかとれないけれど、物語の世界に没入しやすくなっている。年末は疲れ
ていたせいか、本を手に取れない状態、新聞を眺めるのがやっとという気分が続いていた。何はと
もあれ気分転換は本で、のはずだったのに調子が狂ってしまった。それが疲れを倍加させているよ
うだった。だから、気持ちが物語に集中していくのはうれしい。
 ずいぶん前に借りたのにようやく読みあげた本の一つが「高く孤独な道を行け」(ドン・ウィン
ズロウ 創元推理文庫)、シリーズ第3巻。前回から3年、ようやく中国から帰国できたニールの行
く末は?今回はアメリカ国内が舞台。といっても西部はカウボーイの町。酒場での喧嘩あり、乗馬
あり、ガンマンの決闘あり。その中でのニールの任務と出会いと苦悩。巧みなストーリー展開は相
変わらず読ませる。あと2巻もすでに原書は発刊済みということなので、続きが待ち遠しい。
 こちらもシリーズもののミステリー「堕ちた予言者」(フェイ・ケラーマン 創元推理文庫)も
ようやく読めた。リサと結婚したデッカー、その二人と子どもたちとの関係、仕事では強かん未遂
事件。結局自分とは?家族とは?血縁とは?ということを、事件と絡ませながら描いていく。事件
が猟奇的な様相を示しても決してホラーにならないのがこの作家の良さだろうか。
 そしてやはりミステリーのシリーズ「リゾートタウンの殺人」(サンドラ・スコぺトーネ 扶桑
社文庫)。ニューヨークのレズビアン探偵が、パートナーと友人たちの別荘の改修を手伝いにリゾ
ートタウンに行き、そこで事件に出会う。事件の概要はすぐ察知できるものだから、謎解きより主
人公とパートナーとの関係の修復がメイン。とにかく今の困難な関係を簡単に崩すのではなく、修
復していこうと努力する姿を描く。
 さて、児童文学では「十一月の扉」(高楼方子リブリオ出版)、もようやく読めた。中2の女の
子が2ケ月だけ下宿する話と、その間にその子が書く童話とが入れ子になった話。これも癒し系と
いっていいのか、ちょつと私には食い足りなさが残った。もう少し行間に込める何かが欲しいよう
な…。現実の話の方も下宿の話からすでにおとぎ話的というより少女漫画的設定。それがすっと入
れば楽しめる物語だろうと思う。それと、漢字・熟語の難しいものが時々出てくる。ルビを振って
あるのでわざとだと思うが、私には唐突に思えた。中2の少女が考える時に使う言葉ではないような
気がする。しかし、コミックなら納得できる。ということで私はコミック版が読みたい、大島弓子
や樹村みのりあたりの素朴な感じの絵で。
 12月末に読んだ「すももの夏」(ルーマー・ゴッテン 徳間書店)は、フランスでのバカンス
中、母が入院し姉弟4人で過ごした少女の話。少女から大人になりかけの姉と思春期を脱しつつあ
る私。そこに絡む大人たち。みずみずしい、と同時に二度と来ないその一瞬のきらめきを惜しむ、
そんな情感にあふれた物語だった。
 「ひかりの国のタッシンダ」(エリザベス・エンライト 学研)はもう品切れの世界翻訳童話シ
リーズの中の一冊。世界の果てにもやに囲まれた山の国があり、そこには白い髪と青い目の人々が
住んでいた。しかし一番の織り手のタッシンダだけは金色の髪と茶色の目だった。魔女に悪い大男
に王子さま。昔話のパターンを使いつつ、描写のしっかりした物語に仕上げてある。上質なお話、
という印象。手に入らないのが残念。
 「ものぐさドラゴン」(ケネス・グレアム 金の星社)も古い作品。セント・ジョージの竜退治
の伝説を元にした単純なストーリーに、ちょっとしたひねりとユーモアとパロディの味つけ。でも
十分楽しめる。これにしても「マクブルームさんのすてきな畑」(シド・フライシュマン あかね
書房)にしても、最近古い本を読むといいなあと感じる。でもこのおとぽけた感じがまたいいなど
と楽しめるのはなぜだろう。私がこういう類いの物語を読んで育ったせいだろうか。馴染みがある
から、自然とその世界を受け入れられる、ということだろうか。いずれにせよ、以前に青かれた物
語の方がゆったりしている。そのテンポが童話としての良さと感じるのか。例えば「十一月の扉」
の中の童話だってユーモアや皮肉がある。が、ゆったりした柔らかさは、醸し出そうとしている所
はあるが今ひとつ。でも今の子どもはまどろっこしく感じるのだろうか。難しいところだ。
 昨年から話題の「ハリー・ポッターと賢者の石」(J・K・ローリング 静山社)も読んだ。面
白かったよ、確かにね。今まで使われてきた魔法のアイテムを上手に使いこなした学園物。一般受
けは納得。シリーズ化するなら最後の愛の力云々は止めてほしかった。謎は残しておかなきゃね。

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